内的自己対話-川の畔のささめごと

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「離脱・放下」攷(十)― マルグリット・ポレート『単純な魂の鏡』(三)

2015-04-07 11:25:24 | 哲学

 マルグリット・ポレートが生きた十三世紀後半から十四世紀にかけてのヨーロッパで、一冊の書物がどのように流通し、受容されていたかを知っておくことは、『単純な魂の鏡』をよりよく理解するためにも無駄ではないであろう。そこで、Max Huot de Longchamp が自身の手になる『鏡』の現代フランス語訳に付した序文に依拠しながら、そこに私自身の観点も織り込みつつ、ヨーロッパ中世期における書物の流通と受容の形態について一瞥を与えておくことにする。
 ヨーロッパ中世文学には、「鏡」(フランス語では miroir, ラテン語では speculum)をそのタイトルに含んだ作品が多数あり、自然の鏡、歴史の鏡、道徳の鏡等、様々な分野に渡るが、それらに共有されている鏡の意味は、現実のある側面を、最初は「観客」であるところの読者の眼前に「煌めかせる」、ということである。つまり、当時、「鏡」としての書物は、今日私たちが読む本に比べて、現実との関係においてはるかに深い意味を持っていた。それは、単に現実の反映にとどまるものではなく、その現実を見るものの姿をそこに映すものでもあり、さらには、その現実の反映と読むものの「映し身」がそこで一致しうる「場所」でもあったのである。
 中世における書物の価値及びその受容形態は、今日とは大きく異なる。活版印刷が始まるのは十五世紀半ば以降、大量生産された印刷物としての書物が広く流通するとようになり、書物を一人で黙って読むという習慣が大衆化するのは、近代以降の話である。マルグリットの時代、書物は、とても貴重できわめて高価な品で、宗教的共同体や当時生まれつつあった大学外に流通することはほとんどなかった。
 中世期において、「読む」ということは、石工が一つの仕事であるのと同じような意味で、ほとんど一つの仕事であった。十三世紀には、書記法はまた正確さを書いており、読み手の側の解釈の余地は大きく、それはちょうどグレゴリアン聖歌の楽譜と歌い手との関係とに似ていた。読むとは、一般に、声に出して読むことであり、したがって、そこには、一定のリズム・抑揚があり、ゆっくりと、テキストの内容にふさわしい読み方が要求された。つまり、複数の聴き手を前提とした、多分に演劇的な行為だったのである。
 この読書における演劇性が、『鏡』において、作者であるマルグリットによってはっきりと意識されていたことは、それが〈愛〉〈理性〉〈魂〉などの多声部からなる構成によって強調されていることからよくわかる。「この本を読まれる聴き手の方々よ」と、マルグリットが作中で読者に呼びかけるのは、たとえ黙読されるときにも、作品が複数の異なった声からなっていることを忘れないように注意を促したかったからでもあろう。しかも、それらの声のいずれかがマルグリットの考えの代弁者なのではなく、『鏡』の舞台劇としての展開全体が彼女の神秘思想の表現なのである。
 『鏡』の演劇的構成は、しかし、けっしてマルグリットの独創にかかるものではない。むしろ、彼女は、当時生まれつつあったヨーロッパ演劇の様式に着想を得ていると見るほうが穏当である。一方では、各地のカテドラルの門前で演じられていた「聖史劇」が、他方では、「愛の法廷」という洗練された宮廷文学の舌戦劇が、『鏡』の構成に影響を与えていることはほぼ間違いない。愛や理性を擬人化して登場人物とする手法も当時として珍しいものではなかった。
 とはいえ、『鏡』はそれらの模倣ではない。テキスト全体の長さかららして、『鏡』が実際に上演されたということは先ず考えられない。それに、その内容の難しさからして、いきなり多くの聴衆の前で読まれたとも考えにくい。たとえ作品が複数の聴き手を前に読まれたとしても、舞台劇として読まれること自体が作品の最終目的ではなかったことは、最後の諸章では演劇的構成がすっかり姿を消していることからもわかる。
 『単純な魂の鏡』は、一冊の書物以上のものであろうとする。どういうことか。作者は、読者が作品の中に自らの「映し身」を見出し、その作品世界の「現実」に近づき、その中で自らが変容すること、つまり、『鏡』が、取りも直さず、その読み手の魂を純化する鏡であることを切に願っているのである。
 一方、中世における書物が今日の書物とは大きく異なっていたように、中世期の鏡は、今日私たちが日常的に使用している鏡とは別物であった。まず、中世の鏡は、今日のようなガラス製ではなく、様々な反射光をもたらす金属製反射板であり、その前に立つものの忠実な姿見ではなかった。むしろ、それは私たちに謎めいた姿を見せるものであり、それはその「彼方」にある「真の姿」に手がかりを与えるものであると同時に、それを私たちの眼から隠すものでもあった。鏡像から真の像へと至るプロセスは、その不完全な鏡像を辛抱強く読み解く作業にほかならない。鏡像は、それが鏡の中に映った像であるかぎり、真の姿ではない。真の姿は、鏡がまったく無化されたときにはじめて、そこに現成する。
 なお、この鏡の歴史と自己認識の歴史的変容という問題は、二〇一二年と二〇一三年の二年に亘って日本で行った集中講義「鏡の中フィロソフィア」で取り上げたことがあり、その概要はこのブログの二〇一三年六月から七月にかけての一連の当該記事で知ることができるようになっている。