西谷啓治『神と絶対無』の中の論文「マグデブルクのメヒティルド」は、同書の初版が一九四八年に弘文堂から出版されたときに初めて発表された論考で、おそらく出版の直前に執筆されたものであろう。現在は、『西谷啓治著作集』第七巻(一九八七年)に収録されている(本攷で同論文に言及・引用する際には、この著作集版に拠る)。
それから七十年近く経っている今日、日本語によるメヒティルド研究もかなり進展しているに違いないが、まだそれらの研究成果を参看する機会に恵まれていない。ただ、それらの中の大きな成果の一つが、昨日も言及した、創文社の『ドイツ神秘主義叢書Ⅰ』として一九九九年に刊行された香田芳樹による『神性の流れる光』全訳であることは間違いないであろう。
西谷論文以後の今日までのメヒティルド研究を知らずに西谷論文についての評価を下すことはもちろんできないが、このわずか三十頁足らずの小論文が私にとってメヒティルド理解の良き手引であることは、幾冊かの仏語の研究書を参看した後も変らない。
その手引に従って、『神性の流れる光』を読んでみよう。
メヒティルドは、自分にとっての母語である当時の北東ドイツ語で同書を書いた。このことは、当時のキリスト教会公式の神学的世界観による制約を、少なくとも言語的には受けずに、自らの神秘的体験とそこから引き出された教説を自発的に表現することを可能にした。それに、彼女の熱情的かつ真摯な性格は、彼女を当時の腐敗したキリスト教会の苛烈な批判者にもしていた。
彼女の述作には、優しく深い内感が思想の自由さ及び明晰さと結びつき、子供らしく素朴な魂が崇高な心意と一つになつてゐる。その表現は彫塑的な直観性をもち、その叙述は異常な生気と多様性に満ちて居り、彼女の詩情は自らなる韻律にまで高まつて抒情歌となり、叙事詩となると同時に、時としてはエックハルトに通ずる思弁の深さにも達してゐる(西谷上掲書119-120頁。同書での旧漢字は、これを現行漢字に改めた)。
メヒティルドの神秘主義の独自性は、それが神との「愛」(minne)にその全体が貫かれていることだが、それが鮮やかな幻想や感覚に満たされた詩情と結びつき、体験的に深められている。
然もその神との愛は、極めて濃厚に恋愛と婚姻といふ形で表象され描写されてゐる。神なる基督が霊の花婿であり霊が神の花嫁であるといふ観念は、『神性の流れる光』の全体を貫き、その最も生彩ある部分の主題をなして居り、其等の部分に於て詩人神秘家といはれる彼女の面目が最も躍如としている(121頁)。
西谷論文には、西谷自身の訳による『神性の流れる光』からの引用が多数含まれ、中には二頁近くに渡る引用もあり、メヒティルドの表現の特徴を垣間見ることができるようになっている。そこから、この「ドイツ中世の女性神秘主義の最も光輝ある作品」が、当時まだ洗練された言語とはとても言えなかったドイツ語の一方言 による詩的表現としても、一つの例外的な高みにまで到達していることを理解することができる。
それにしても、その表現の大胆さには驚かされる。それが読み手に及ぼす効果を狙った意図的なものではなく、彼女にとってはその経験の真率な表出であっただけになおさらのことである。
彼女の場合、エックハルトに於けるとは異なつて、神との愛といはれるものが極めてパトス的な性格をもつてゐることが注意を惹く。[...]そのパトス的性格は時としては性的な匂ひをすら帯びてゐる(127頁)。
こう述べた後に、西谷は、その一例を引くのであるが、その引用の中に、「彼はその神的な口をもつて彼女を durch küssen する」と訳さないままに残してある語がある。その意味するところがあまりにも直截的なので、さすがに日本語にするのが躊躇われたのでもあろうか。
吾々はかくして、この女流神秘家に於ける多様を極めた、そして花・衣装・飾りなどの如く特に女性的な感覚的比象やパトス的な(時としては性的ですらある)象徴の根底に、深い「欲情」の観念のあることを見出し得る。その観念は、メヒティルドに於ける宗教的生の源泉であり、且つその神秘主義に独自の性格を与へてゐる中心である(130-131頁)。