マルグリット・ポレートの生涯については、その異端審問記録から、最後の十年間についていくつかの史実と日付を知ることができるだけである。しかし、彼女の異端審問から火刑に至るまでの経緯を、当時のヨーロッパの政治・経済・社会史を背景として見るとき、マルグリット・ポレートの生涯は、その時代の思想史的課題の集約点の一つとして浮かび上がってくる。
一三一〇年六月一日、マルグリット・ポレートは、現在のパリ市庁舎前広場で、当時のパリの主だった聖職者たち、フィリップ四世に属する官憲、物見高い群衆らの環視の中、異端再犯・改悛拒否の廉で、火刑に処された。一三〇七年には、すでに異端審問のためにパリで身柄を拘束されていたようである。その後、審問の席への召喚を拒否し、火刑をちらつかせ改悛を強要する当局の圧力に屈することもなく、一切自己弁護することもなく、火刑台に上る最後の時まで、自らの神秘体験のうちに与えられた真理の確信に揺らぎはなく、凛とした態度を貫き通した。その姿を見ていた群衆の中には、彼女に対する深い同情、さらには讃仰の念を抱くようになったものも少なくなかったと伝えられている。
一三〇〇年、フランス北部のヴァレンシエンヌで『単純な魂の鏡』が教会当局によって没収され、焚書に処された。以来、同書は禁書とされ、それを所有あるいは伝播させしものは破門に処すとの禁令も布告された。ところが一三〇六年から翌年にかけて、マルグリットは、当時の主だった司教たちに『鏡』を送っている。このような危険を敢えて冒したのは、彼らから『鏡』の内容についての支持を獲得するという目的もあったろうと推測されている。実際、同書のラテン語版および古英語版には、修道士あるいは神学者三人からの同書の教説についての好意的な見解が巻末あるいは冒頭に付されており、後者が古フランス語版からの直接訳であることから、原古フランス語版にも同じ推薦文が付されていたと推定されている。
『鏡』の教説の中には、確かに、文脈を無視して単独の命題として見れば、教会当局から異端の嫌疑をかけられるおそれのある内容が含まれていた。例えば、「無為なる信による自己救済」(se sauver de foi sans œuvres)は、スコラ神学者たちの理解するところではなかった。そのような危険にマルグリット自身夙に気づいていたことは、『鏡』の中で、そこに展開される教説の理解は容易ではないことに読者あるいは聴き手の注意を一再ならず促していることからもわかる。
しかし、同時代から教会内に彼女の教説の理解者はいたこと、彼女が火刑に処された後、『鏡』は、禁書であったにもかかわらず、ルネッサンス期に至るまで、ラテン語訳、古英語訳、イタリア語訳によってヨーロッパ各地で読まれ続けたことなどからわかるように、「神は愛」「魂の無化」という二つの教説に集約され、無化された魂において働くのは神の愛そのものであって、個々の魂ではない、というところまで徹底化されたその神秘思想は、中世期のキリスト教信徒たちにもその真正性を認められていたのである。もし彼女が、平信徒や庶民が話す現地語であるフランス語ではなく、ラテン語で書いていたら、異端審問の対象になることはなかったであろうとも言われている(同じことがエックハルトのドイツ語説教についても言われていることはご存じの方も多いであろう)。
マルグリットに対する異端宣告は、したがって、その教説内容からだけでは十分に説明することができない。そこには、当時のフランス王家と宗教的権威(特に異端審問官たち)との癒着、フランス王家・教皇間の覇権争い(教皇のアヴィニョン捕囚は、マルグリットの処刑の前年)、修道会間(特に、フランシスコ会とドミニコ会との間)の勢力拡張競争、絶対王政確立のための経済的利権の収奪、都市生活における女性共同体の成立と拡張など、政治・宗教・経済・社会史的背景を考慮しなければ理解できない問題がいくつもある。それらの問題が複雑に絡み合った歴史的文脈の中にマルグリット・ポレートの異端審問も位置づけられなくてはならないのである。
とりわけ、当時絶対王政確立のための中央集権化に踏み出していたフィリップ四世(Philippe le Bel 「端麗王」)の治下であったことがその最も大きな背景的要因であったと思われる。マルグリットが主にそこで活動したとされるフランドル地方は、毛織物業が盛んであり、フィリップ四世は、同地を支配下に置くことを目論んでいた。同地方は、教会にも属さず、自立した生活共同体を形成しつつあったベギン会の活動がもっとも活発な地方の一つだったが、同会に属する女性たちの中には王権にも教会に服従しようとしないものもあったから、当然迫害の対象にもなったであろう(マルグリットがベギン会に所属していたかどうかは確かではないが、同会の女性たちに自分の教説を語り、ある共同体の指導にあっていたことは『鏡』の記述からわかる)。フィリップ四世が、さらに王政の経済的基盤を固めるため、テンプル騎士団を異端として弾圧し(一三〇七-一三一四)、これを壊滅に追いやり、その莫大な財産を没収したのは、まさにマルグリットの異端審問及び火刑と時期的に重なる(このテンプル騎士団に対する異端宣告はまったくの冤罪であったことを、今日のローマ教皇庁はその公式見解として認めている)。
マルグリット・ポレートは、いかなる権威に屈することもなく、真実を口にし続けたがゆえに悲劇的な最後を迎えた、いわば時代の犠牲者であったわけである。彼女が生涯にたった一冊書き残した作品である『単純な魂の鏡』は、その高貴な魂の表現として不滅の価値を持っている。