内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「離脱・放下」攷(十六)― 愛の神秘主義と存在の神秘主義との融合

2015-04-13 00:04:00 | 哲学

 マルグリット・ポレートにおいてその最も昇華された表現の一つが見出される、ベギン会の女性たちを担い手とする神秘主義は、「恋愛的神秘主義」(mystique amoureuse)と呼ばれ、情感的・感情・官能的要素を多分に含んだ愛なる神との合一の神秘主義と特徴づけられる。それは、エックハルトに代表されるような、知性の働きに重きをおく「思弁的神秘主義」(mystique spéculative)との対比でそう特徴づけられるのが一般的で、ときにはいささかの揶揄がそこに含まれていることもあり、不当にも軽侮の念がかいま見られることさえある。
 抒情的かつエロス的要素に彩られた「愛の神秘主義」と形而上学的思弁性を色濃く備えた「存在(あるいは本質)の神秘主義」とが、十三世紀から十四世紀にかけてのキリスト教神秘主義運動を方向づける対立的な傾向として提示されることもある。もっと極端な立場として、前者に「女性的な」官能性を孕んだ神秘主義を、後者に「男性的な」知的で精神主義的な神秘主義を配当し、前者を後者の下に置くというあからさまに男性優位主義的な見方もある。しかし、アラン・ド・リベラが正当にもこのようないわば性差別的な図式を批判しているように(Alain de Libera, Penser au Moyen Âge, Seuil, collection « Points Essais », 1991, p. 299)、事態はもっと複雑である(Benoît Beyer de Ryke, Maître Eckhart. Une mystique du détachement, Ousia, 2000, p. 51)。
 実際、この経験的感覚性と思弁的形而上学性という神秘主義の二つの構成要素は、ベギン会の女性たちにすでに見出されるのであり、愛の神秘主義と存在の神秘主義との融合こそ、彼女たちがヨーロッパ宗教思想史にもたらした最も大きな貢献だと言うことができる。しかし、この融合は、彼女たちの独創によるものではない。一方では、当時の宮廷恋愛文学にその〈愛〉の表現形式を借り、他方では、シトー会の聖ベルナール(1090-1153)の旧約聖書『雅歌』説教に遡る婚礼の神秘主義に多くを学ぶことによって、世俗の愛が神秘的合一に変容させられることで、この融合は成就されたのである(G. Epiney-Burgard et E. Zum Brunn, Femmes Troubadours de Dieu, Éditions Brepols, 1988, p. 15)。
 この後者の系譜に連なり、ベギン会の女性たちに決定的な影響を与えたのが、聖ベルナールの友人で、もともとは他派の神学者・修道院長でありながら、聖ベルナールの改革運動に共感を持ち、ついには六十歳になってからシトー会の平修道僧になるサン・ティエリーのギヨーム(1075-1148)である。アウグスティヌス主義が、魂と神との単なる類似しか肯定せず、汎神論を回避するために、魂の神への限定的分有しか認めなかったのに対して、サン・ティエリーのギヨームは、ギリシア教父たちに依拠しながら、はるかに徹底した仕方で、「人間の神格化(théôsis)」を肯定する。
 ギヨームは、しかし、人間の神格化を肯定する一方で、人間と神との違いを明確化することにも心を砕く。そのきわめて微妙な区別とは、「神であること」(« être Dieu »)と「神がそれであるところのものであること」(« être ce que Dieu est »)とを区別することからなる。この違いを含意としてもった「人間の神格化」は、「魂は、もともと神であった」、より正確には、「魂は、神の不可欠な部分であった」、だから、「己の起源に立ち返ることによって、神がそれであるところのものに再びならなくてはならない」というテーゼを主張しているのである。このテーゼが、ハデジウィックでは、「神とともに神となる」(« devenir Dieu avec Dieu »)という表現になり、エックハルトでは、「神において神となる」(« devenir Dieu en Dieu »)という表現へと変奏されていく(Benoît Beyer de Ryke, op. cit., p. 53)。