史実を伝える歴史書としての資料価値は高いとは言えない『古事記』に依拠した歴史記述が今日の歴史書にはほとんどないのは当然のことです。
例えば、高校の歴史教科書として最も詳細な山川出版社『詳説 日本史B』(2014年)には、たった一回『古事記』についての言及が見られるだけです。それも、天武天皇の時代に始められた国史編纂事業が奈良時代の初めに『古事記』『日本書紀』として完成した、とあるだけです。
この教科書に準拠した同社の本格的な参考書『詳説 日本史研究』(2009年)でさえ、索引には言及箇所が三頁しか示されておらず、天平文化の項で、「記紀の編纂」について数行割かれ、参考記事として「記紀の神話」というコラムが設けられているだけです。
昨年出版されて、またたくまに大ベストセラーとなった『いっきに学び直す日本史』(東洋経済新報社、往年の名参考書『大学への日本史』の改定復刊)では、言及箇所は七ヶ所ありますが、いずれの箇所にも立ち入った記述はなく、『古事記』そのものを主題とした箇所でも、次のような記述にとどまっています。
『古事記』3巻は、天武天皇のとき稗田阿礼に命じて帝紀・旧辞を誦習させたものを、のち太安万侶らが筆録し、712(和銅5)年に完成したもので、神代から推古天皇までの神話・伝承・歴史を漢字の音訓をたくみに使って日本語で表現した。(95頁)
しかも、原文で太字で強調された「日本語で表現」というのは不正確な言い方で、誤解を招きます。むしろ、変則の漢文体と言うべきでしょう。
放送大学の印刷教材を基にし、それを改訂増補した『大学の日本史 ①古代』(山川出版社、2016年)でも、『古事記』についてわずか三箇所で言及されているだけで、天武天皇に始まる国史編纂事業については言及さえ見られません。『万葉集』や『日本霊異記』からの引用のほうが目立つほどです。
もちろん、文学史になれば、話は違います。講義で使っている高校生向けの参考書『原色シグマ新日本文学史』(文英堂、2000年)や『古典入門』(筑摩書房、1998年)などには、『古事記』の表現・文体について何行かの記述が見られます。例えば、前者には、次のような記述があります。
純粋な漢文体で記された序文以外は、漢字の音訓をまじえた変則の漢文体で記されており、語りつがれた本来の国語を忠実に伝えようとする努力がなされている。とくに歌謡や重要な語句は、万葉がなによる一字一音式の表記によって古意を伝える工夫がなされている。(16頁、原文で赤字強調)
さらに同頁の下段の「太安万侶の苦心」と題されたコラム記事では、安麻呂の『古事記』序文を引きながら、日本固有の伝承を書き記す際に、異質の文字言語である漢字(漢文体)を使わねばならなかったことによる多大な困難に言及しています。
私としては、学生たちにこの安麻呂の困難に思いを致してみてほしいのです。ただ上掲のような客観的で冷静な記述を知識として身につけるだけでなく、「その場に身をおいて」その困難を感じようと試みてほしいのです。
もちろん、本格的にそうするためには、教科書やそれに準ずる参考書を読んだくらいではまったく準備が足りません。私がそれに補足説明を加えても、まだまだ遠く及びません。
それでも、「歴史的に想像する」練習をしてみてほしいと思っています。それで、例えば、次のような問題場面を虚構として設定して、そこから事柄を考えてみるというような設問が考えられます。
天武天皇の治世のときに始まった国史編纂事業は天皇の崩御によって中断された。四半世紀後、旧辞の誤り乱れたままであることを惜しまれていた元明天皇は、稗田阿礼によって誦習された帝紀・本辞の撰録の命を太安万侶に下された。命を受けた安麻呂は、「古事記編纂委員会」を組織することにした。あなたはその委員の一人に任命された。第一回会議の議題は、採用すべき文体の決定である。その席上で、安麻呂は、委員たちに、次の三つの文体 ― 純漢文体、漢字をすべて表音文字として使う純国語体、両者を組み合わせる変則漢文体 ― のうちのいずれを選ぶべきか意見を求めた。あなたの意見を述べよ。
もちろん、実際にはこの通りの出題はしません。しかし、趣旨はこの例に示された通りです。つまり、身につけた知識を基に、与えられた条件の枠内で、想像力を働かせて、「その場に身をおいて」考えてみよ、ということです。