当代を代表する万葉学者のひとりである上野誠氏には、当然のことながら、『万葉集』を直接の対象とした著作が多数ある。一般読者を新しい視角から万葉の世界へと招待してくれる魅力溢れる本を何冊も書いてくれている。
私個人としては、上野氏が知悉している畑からの豊かな実りを素人にも優しくおすそ分けしてくれるそれらの著作とは別に、自分の専門領域を遙かに越えた遠くまで冒険に出た『遣唐使 阿倍仲麻呂の夢』(角川選書、2013年)がとても気になっており、休暇明けの古代史の講義の中でも是非その一部を紹介したいと思っている。
さて、それはそれとして、今日の記事で取り上げるのは、今年出た最新著『万葉集から古代を読みとく』(ちくま新書)である。アマゾンを見ると、万葉集というカテゴリーの中でのベストセラー1位となっている。それも納得の好著だと思う。
本書の「はしがき」には、去年大ヒットした映画『君の名は。』の話がいきなり出てくる。この辺、読者の心の掴み方もさすがといったところ。しかし、それは単に話題性に乗じた安易な「便乗商法」などではまったくない。映画の主題の犀利な分析を通じて、本書のねらいへと導いていくその論の運びは見事と言っていい。
『君の名は。』は、『万葉集』のある歌が映画全体のモチーフになっているという。その歌とは、巻十秋相聞の部の冒頭の人麻呂歌集より採られた五首(二二三九-二二四三)の内の第二首(二二四〇)である。
誰そ彼と 我をな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我を
この歌には、第一句を第三者に呼びかけると取る説と、自分が露に濡れながら待っている恋人「君」自身へ向けられた言葉と取る説とがあるが、上野氏は後者に取る。
そこから『君の名は。』の主題の分析が始まる。「いったい誰なのか、あなたは」、つまり「君の名は」と問うことが、人と人とが結ばれる最初の言葉なのだ。そして上野氏はこう続ける。
と同時に、人は、自分とはどういう人間なのかと常に問い続ける動物でもある。人は問い続けることでしか、自分自身のことがわからない動物なのである。映画の物語は、問い掛け続けることによって、自分の中のもうひとりの自分を見つけ出そうとする高校生の物語なのである。
『君の名は。』では、あらゆるものが結ばれてゆく。[中略]
つまり、自分が誰かと問うこと、あなたが誰かと問うことは、その人の結びつきを問うことだということを、この物語は気づかせてくれるのである。
そして、自分と他人を区別し、自分が自分であることを示すものこそ、名前にほかならない。名は誕生とともに与えられるものであるから、人は誕生とともに、新たな関係のなかを生きていくことになる。
映画『君の名は。』は、過去への敬意、『万葉集』への敬意からはじまる物語なのである。