内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

元気の出る空海、あるいは万物と交流する総合的クリエイター

2017-10-15 19:12:48 | 読游摘録

 昨日の「仏セブン」の人気ランキング投票についてですが、普段ほとんどコメントが付くことがない拙ブログであるにもかかわらず、空海にのみ二票入りましたから、世間では空海の好感度が高いように推測されます(って、ちょっと強引すぎるかなあ)。
 巷間の空海ブームには、司馬遼太郎の『空海の風景』が一つの大きなきっかけになっているのかもしれませんが、末木文美士『仏典をよむ 死からはじまる仏教史』(新潮文庫)によると、丸山眞男に代表されるような平安時代の密教に対する否定的な態度が反転するのは一九八〇年代だそうです。

このような反密教主義が転じて、密教が一種の流行現象となるのは一九八〇年代あたりからで、近代的な合理主義の行き詰りから、非合理的な宗教への関心が高まった。先に挙げた空海ブームもその一環をなすが、チベット密教が大きく取り上げられたのもこの頃である。しかし、そのような非合理主義が行き着いた先は、オウム真理教が引き起こした一連の悲劇的な事件であった。(235頁)

 今日の記事の話題は、しかし、現代日本における密教への関心の高まりについての末木氏の見方の当否ではありません。もっと軽い気持ちで、「仏セブン」の中で、詩人的資質に一番恵まれていたのは誰かなあと考えてみたかっただけです。これはもう空海が断然トップでしょうね。ついで道元ですかね。
 空海がもし現代芸術の世界に突如登場すれば(教団内では、即身成仏して死んでないってことになっているらしいし)、世界的に活躍する総合的クリエイターにたちまちなること間違いなしでしょうね。
 篠原資明著『空海と日本思想』(岩波新書、2012年)という、行論がアクロバティックな飛躍に満ちていてスリリンクな読書体験が得られる本があります。その中には、空海の著作からの引用も多数あり、それをちょっと読んだだけでも、詩人空海の語彙の豊穣・華麗さ・鮮やかさ、そして鋭さに、さらには、想像力のスケールの大きさに、圧倒されてしまいます。
 それに、読んでいるだけで、何かこちらにもエネルギーが充填されるような気がして、元気になります。篠原書からの孫引きになりますが、『性霊集』の二編「大和の州益田の池の碑の銘」「山に遊むで仙を慕ふ詩」それぞれからほんの一部を引いて、本日の記事の締め括りとします(訓読ならびに現代語訳・注解については、篠原書、あるいは岩波古典文学大系『三教指帰・性霊集』などについて見られたし)。

日月運転して
山河錯り峙てり
千名森羅として
万物雑り起る
藤膚既に隠れて
稷秔爰に始まる
天池人池
灑ぎ霑す功似たり

一身独り生歿す
電影是れ無常なり