内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『日本霊異記』― 現世の秩序を超えた驚愕の世界

2017-10-08 23:59:59 | 講義の余白から

 古代文学史で取り上げる主要な作品といえば、なんといっても『古事記』と『万葉集』ということになるし、時間的な制約からも、他の諸作品については挨拶程度に言及するにとどめて通り過ぎることが多い。
 しかし、今年度は、『日本霊異記』も少し時間を割いて取り上げることにした。それは、単に現存する日本最古の仏教説話集だからという文学史的位置のゆえばかりではなく、その中には民衆の生活の中にどのように仏教信仰が浸透していったかが生き生きと描かれていて大変興味深いからである。ただ、中には、かなり刺激の強い話も含まれていて、読んでいてあまりいい気持ちのしないときもあるが。
 そのような話も含めて、その多くは、正式書名『日本国現報善悪霊異記』からもわかるように、善悪の因果応報が来世を待たずにこの世に顕現する話である。それらの中に見られるのは、しかし、現世を現世内で合理的に説明しようとする態度とは対極的であり、現世を超えた秩序の支配が前提とされている。因果の理法は凡人の理解を超えたものであり、どんな結果が起こるかわからない、ということである。
 末木文美士『仏典をよむ 死からはじまる仏教史』(新潮文庫、2014年)によれば、『日本霊異記』が示しているのは、仏教によって「これまでの日本の一般の人々が想像だにしなかった異次元の世界が開かれ」たことであり、その世界はまさに「現世の秩序を超えた驚愕の世界」である(189頁) 。そんな世界の一端を講義の中で覗いてみようと思っている。
 ただ、私自身の思想史的関心からすると、末木書の『霊異記』に割かれた一章の末尾の次の問いかけがとくに重要に思われる。

 日本の仏教の二重性という最初の問題にもどると、仏教は抽象的な理論によって日本に定着したのでもないし、逆に理論なしに土着の民俗だけがあるわけでもない。むしろ民衆の中に定着していく中で、仏教の理論は深められ、表層から深層へと食い込み、現実にはたらく強力なパワーとなる。因果の理法は皮相的な合理的法則にとどまるものではなく、現世を超えて、死者の世界に通ずる驚嘆すべ論理としてはたらく。[中略]
 これらの動向は、決して仏教の低俗化でもなければ、単純な逸脱でもない。思想が本当に現実の力となってはたらくとき、それはもはや机上の空論ではなく、思想が現実の中で自らを鍛え、自らを造り出していくのだ。そのような思想のダイナミックな動きとして、日本の仏教を読み直していくことはできないだろうか。(203-204頁)