内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

海洋国家としての開放性と島国としての閉鎖性という矛盾的自己同一性をかかえた日本の私

2017-10-25 21:51:21 | 哲学

 まわりが海に囲まれているということは、閉鎖性と開放性という二重の性格をその国に与える。
 もちろん、この相矛盾する性格がどこでも同程度に見出されるわけではない。大洋のど真ん中の孤島であれば、閉鎖性が勝り、まわりを囲む海が比較的狭く、それが周辺諸国からの人・文物の往来に大きな障害とならなければ、開放性が勝る。
 日本は歴史上どちらが勝るか。
 日本についてその「島国根性」を語る人たちは、日本に関しては閉鎖性が勝ると思っているのだろう。日本が歴史上他国からの侵略によって脅かされなかったことを強調する場合も、閉鎖性とまで言わなくても、海そのものが他国に対して巨大な「環濠」の役割を果たしていたと考えてのことだろう。
 しかし、大林太良によれば、日本の民族文化研究の先駆者たちはいずれも海を重視していた(『海の道海の民』(小学館、1996年)。それは皆、外から到来するものを重視してのことだった。折口信夫、柳田國男、南方熊楠、みなそうである。
 網野善彦も『海民と日本社会』(新人物往来社、1998年)の「世界に開かれた日本列島」と題された章で、日本の開放性を強調している。
 上田正昭も『日本古代史をいかに学ぶか』(新潮社、2014年)の第六章「歴史のみかたの再検討」において、日本の閉鎖性を強調する見方を批判している。
 大陸への開放性ということになると、いわゆる「裏日本」が実は大陸への表玄関だったのであり、対馬は大陸との交流の最先端ということになる。
 古代日本史を考えるとき、中央政権としてのヤマトを中心としてそこから放射線状に広がる歴史認識、いわゆる「「中央史観」は根本的に再検討されなければならないことは、上述の歴史家たちがこぞって主張するところである。
 しかし、日本のいわゆる島国的閉鎖性もまったく否定しさることはできないだろう。私自身は、今日の記事のタイトルにも掲げたように、海洋国家としての開放性と島国としての閉鎖性という相対立する性格をもった矛盾的自己同一体として「日本」を捉えたい。