内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

心はどこにあるのか ― 「心は心の中にはない」、あるいは懲りないテツガク親父の世迷い言(アルコールちょっと入ってまーす)

2017-10-31 22:16:05 | 哲学

 今日は一日、明後日のパリでの仏語発表原稿の準備に充てました。と言っても、すでに講義、講演、研究会等で話したことがある内容を、今回与えられた時間に合わせて手直しするだけのことなので、それほど難儀な作業ではありませんでした。
 それってさぁ、ぶっちゃけ、使い回しってことでしょ。最近、なんかそれ多くない? ― 何を言うか! テツガクシャが言うべきことは煎じ詰めればいつも同じことなのじゃ。おフランスのかの偉大なる哲学者ベルクソン大先生もそう宣われておられる。 ― それってさぁ、なんとかの一つ覚えとどこがどう違うの? ― ううーん、確かに紙一重かも知れんなぁ。しかし、それでも地球は回っておるのじゃ!― はあぁ? なんでガリレオなのよぉ?
 さて、さて、それはともかく(って、い~つもそれで逃げてるじゃん!)、今まで話したことがある内容について、よりよい(と、少なくとも発表者ご本人には思われる)表現を与える機会をいただけるのはありがたいかぎりでございます。聴く側の期待に応える内容になっているかどうかは保証のかぎりではございませんが(な~んか、いいよねぇ、そんな無責任でいい加減な態度でしゃべくってりゃぁいいだんもんねぇ。三日やったらやめらないってか?)。
 それはさておき(でたぁ、必殺得意技!)、発表タイトルを日本語にそのまま訳せば、「心はどこにあるのか」となります。
 「さぁ~て、皆さん、心ってどこにあるのでしょう?」って、先週、修士の学生たちに問いを投げかけてみたんですよ。そしたら、皆、バァ~ッかじゃないの、このオヤジ学科長、って表情を隠しもせず、胸のあたりを指して、「ココデ~ス」と、上から目線で答えるじゃあ~りませんか。
 それに対して、アジアティック・オヤジ学科長は眼光鋭くニヤリと皮肉な笑みを口元に浮かべながら、「あのねぇ、君たち。そうじゃねーんだよって話を十一月初めにオレはパリでするのさ」と応じる。皆、なにこのジャパニーズいけてないオヤジ、わけわかんねぇって顔してました(当然だよね)。それにも負けず(おおぉ、それってミヤザワケンジですねぇー、ワタシ大好きでーす。もう完全に意味不明。意識不明の一歩手前)、「その話の内容は後期の演習で紹介するね」と、その場は丸く収めました(なにも収まっとらん!)。
 ちょっと逆説的な言辞を弄するならば(懲りないねぇ、おやっさん)、「心は心の中にはない。自分がその中で心臓を鼓動させている風景こそがあなたの心なのだ」って言いたいんでがんす(ふ~ん、そうなの、じゃあ、駅前で街頭演説でもしてきたら。もう選挙終わっちゃったけど)。
 あっ、じゃあ、これって、オワコンでしょうか?