古代文学史の講義の準備ために、上田正昭『新版 日本神話』(角川ソフィア文庫、2013年)、三浦佑之『風土記の世界』(岩波新書、2016年)、橋本雅之『風土記 日本人の感覚を読む』(角川選書、2016年)を読んでいて、いわゆる記紀神話の世界をその「外部」から見直す視点を教えられた。
より一般的には、「中心」を「地方」と「古層」という二重の外的観点から相対化する方法をそこから学んだと言うことができる。
今日の記事では、上田氏の『日本神話』を取り上げよう。
上田氏が指摘するように、神代に関して、『古事記』と『日本書紀』とでは異なった観点で書かれているのだから、「記紀」と一括して一つの調和的な神話世界を構成しているかのように捉えること自体に問題がある。両者の差異を明らかにするには、言うまでもなく、両者の内的読解がまず必須である。
しかし、両者それぞれを風土記の神話世界と比較することで、両者の神話世界間の差異をより明確に浮かび上がらせることができるだろう。宮廷神話と各地域の神話、書かれた神話と民衆のあいだに語りつがれた神話、それらの間にはいくつかの断層と新旧の重層があるが、これらの断層と重層とを明らかにするために「風土記」は不可欠な第一次文献なのである。
特に、『出雲国風土記』は、中央から派遣された官僚の手によって編纂されたものではなく、出雲の地域に土着した豪族出雲臣広嶋と出雲人神宅臣金太理を筆録責任者としているだけに、「中央」を「地方」と「古層」とから相対化するためにきわめて貴重な文献だと言うことができる。