三月後半から八週間続いた外出規制令によって自分の身にどんな変化が起こっただろうか。自分では気づいていない変化もあるかも知れないが、はっきり自覚できていることの一つは、歩くことが好きになったことである。
最初は、それまでの日課だった水泳の代わりとして、規則的に体を動かして健康を維持するためというもっぱら「実利主義」的な目的から、なかば仕方なしに始めたことだったが、ひと月も続けていると、一日一回は歩くことを体が自ずと欲するようになった。つまり習慣になった。おかげで体調も良好だ。
外出規制が段階的に解除され始めた五月十一日以降もほぼ毎日一時間から一時間半歩いている。歩いていると、自転車で毎日のように通り、すっかり見慣れていた街路に、こんなにも見落としていたものがあったのかと気づく。それだけでも楽しい。
それに、自転車では考えごとはしにくいし、できても、あまり考えに耽っては危険でさえある。その点、歩いているときはまず安全だし、よく考えられる。思考を発展・深化させるためには、身動きせずに沈思黙考することも必要だが、歩行が促す思考はそれとは質が異なる。一般的そう言えるかどうかは別として、私の場合、静止的思考と動的思考とは相補的な関係にあるようだ。
時間に対する考え方も少し変わった。できるだけ速く目的地に着くこと、そして、それを可能にする交通手段を使うこと、つまり最短の時間で目的を達成することが必ずしも「最良」の選択ではないと考えるようになった。歩行という過程そのものにおいてこそ見いだされる「時」があることに気づかされた。何らかの「有用性」によって計られた時間の価値とはまったく質を異にした、無償で贈与される時間そのものの汲み尽くしがたい豊穣性により敏感になった。
つまり、歩くことが習慣化して、いい事ずくめなのである。