哲学はどこでするのか。
ソクラテスなら、アテナイのアゴラ(公共広場)またはギムナシオン(公共の競技施設)で、あるいは、アテナイ郊外の川の辺りなど野外で、と答えたかも知れない。
アリストテレスなら、リュケイオンのペリパトス(歩廊)を逍遥しながら、と答えたかも知れない。
ディオゲネスなら、「ここじゃよ」と大樽の中から答えるだろう。
ニーチェなら、シルバプラーナの湖畔で、あるいは、エズの断崖の上で、と答えたかも知れない。
しかし、哲学は、本来、場所を選ばないとしても、現実には、部屋の中でするのが普通であろう。独りで思索に耽ったり、古典の精密な読解に努めたり、著作に専念したり、誰かと対話したり、その形はさまざまであれ、それらすべての行いは室内で行われることが圧倒的に多いだろう。
その部屋はどのような部屋だろうか。なにか特別に哲学に向いた部屋があるかどうかはしばらく措くとして、時代・文化・社会によって多様であろう哲学者たちの思索・対話・読書・執筆の部屋を想像してみるのは楽しい。
思索や瞑想のための部屋に限らず、人が独りで過ごす部屋、あるいは誰かと親密な時を過ごす部屋、それらはどんな作りであったのか。そんな問いに答えてくれるのが、西洋における部屋(私室・寝室など)の歴史を古代から現代まで辿った Michelle Perrot, Histoire de chambres, Seuil, coll. « La librairie du XXIe siècle », 2009 である。
哲学者の部屋というテーマは本書では扱われてはいないが、« Écrire » と題された節の書き出しはこのテーマについて考える一つのヒントになる。
La chambre est par excellence le lieu de la pensée : la vision mathématique, par exemple, que favorise la nuit : « Les mathématiciens, les mathématiciennes ont le plus grand mal à faire comprendre à leur conjoint que le moment où ils travaillent le plus intensément est celui où ils sont couchés dans l’obscurité sur un lit », dit Alain Connes. Elle est aussi propice à l’écriture personnelle, celle qui ne nécessite pas le recours aux bibliothèques, aux dossiers documentaires : l’écriture de soi, par soi, aux intimes, qui requiert des dispositifs dont l’apparente simplicité est le fruit d’un extrême raffinement technique : table, chaise, papier, plume, stylo, plus tard machine à écrire, en attendant l’ordinateur, surtout solitude et calme, ceux qu’assurent la porte close et la nuit, compagne des écrivants dépourvus de cabinets et qui tentent de s’aménager un coin.
これがそのまま哲学的思索に適した部屋の条件に当てはまるわけではないが、ここに例としてあげられている数学者の場合のように、夜、薄暗がりの中で独りベッドに横になるときにもっとも集中できるという哲学者はいるだろう。書籍や資料類をあれこれ調べながら執筆する論文の場合とは違って、自己省察録は、必要最小限のものだけが置かれた簡素な私室で独り静かにという条件を必要とするというのも首肯できる。
他方、哲学的思索はそれが展開 ・深化されるための内的空間を必要とする。この思索のための内的空間の表象の西洋における変遷とそれに伴う思索の内実の変化については、Jean-Louis Chrétien, L’espace intérieur, Les Éditions de Minuit, coll. « Paradoxe », 2014 をまず参照したい。この本については、2014年12月13日から六回に渡って記事にしているので、ご興味のある方はそちらを参照していただければ幸いである。