ストラスブールには近代的な高層建築がまったくない。一四三九年に完成した高さ一四二メートルのカテドラルの尖塔が今でもアルザスで最も高い建築物だ。市内の様々な角度から見える。よく晴れて空気が澄んでいる日には、直線距離にして三十キロ離れたモン・サントディール(Mont Sainte-Odile)の頂上の見晴台からも見える。高速道路四号線をパリからストラスブール方面に向かって走らせていると、市の中心部までまだ二十キロほど離れたところから真正面にカテドラルが視界に入ってくる。初めてそれを見たのは、もう二十年以上も前のことだが、その時の感動はいまだに忘れない。
高い建物がないということは空が広く見えるということでもある。それだけではなく、ライン川がドイツとの国境をなし、リル川とその支流が市の中心部を取り囲むように幾筋も流れ、ラインとマルヌを結ぶ運河(Canal de la Marne au Rhin)も市中を横切っているため、市中のいたるところで、それら水流の上には視界が広く開けている。それらの流れの上に架かる多数の橋からの眺めも変化に富み、逆にそれらの橋の一つ一つがそれぞれに異なった街の景観の要素を成している。
雲ひとつない青空を背景とした街並みの美しさももちろん嘆賞に値するが、歩くことを日課にするようになってから、歩きながら空をよく眺めるようになった。特に、日毎時々刻々と形を変化させる雲は見飽きるということがない。その造花の妙に感じ入ることもしばしばある。
自宅からの市内路面電車の最寄り駅である「欧州議会」は運河の上に架かる橋の直前にある。その橋の上に立つと、ライン川に向かって真っ直ぐに伸びている運河の彼方に、シュヴァルツヴァルト(Schwarzwald)の稜線が見渡せる。その上に広がった大空では、雲の多様な造形運動が四季を通じて繰り広げられている。それら雲の動きを眺めながら自宅の方に向かってゆっくりと歩いていると、雄大かつ荘厳な交響曲の一節を聴いているかような充溢感に満たされる時がある。