内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

文学研究の救いとしてのメルロ=ポンティ ― 中西進『万葉集原論』再刊を機として(四)了

2020-06-16 01:48:39 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた中西論文「古代的知覚 ―「見る」をめぐって」の「五 見る・ある・知る」では、一箇所だけメルロ=ポンティへの言及が見られる。そこでも、「見る」ことは「見られる」ことでもあるという主張を批判する文脈で、見るものと見えるものという存在の両義性が援用されている。
 昨日見た箇所と第五節でメルロ=ポンティに言及されている箇所とを合わせ読むことでわかるのは、見るものは見えるものでもあるというメルロ=ポンティのテーゼを支持しつつ、しかしそのことはその見るものが他から見られるものであるという受動性を帰結として直接的にもたらさないという解釈を強調することによって、古代世界における「見る」の権能についての独自の理解を中西氏が打ち出そうとしていることである。
 見るものは、見えるものでもあるからこそ、見ることそのことによって己が見るものに「見えるもの」という存在性を付与することができ、見ないことによってその存在性を奪うこともできるという権能を有しているのだというのが氏の本論文での所論である。
 氏の所論が記紀歌謡・万葉集の時代の「見る」の権能についての説として妥当かどうかという、それ自体大変重要な問題にはここでは立ち入らない。哲学研究者ではなく、メルロ=ポンティの哲学に自身の「低迷」の救いを求めていただけの万葉学者である中西氏に対して、メルロ=ポンティ理解の不備を指摘することは酷にすぎるだろう。ただ、メルロ=ポンティ晩年の存在論を『眼と精神』によってだけでは十分には理解することはできなことはやはり指摘しておかなくてはならない。
 確かに、『眼と精神』には「見られる」(être vu)ものという表現はない。ところが、『見えるものと見えないもの』には « mon être-vu » 及びそれに類似した表現が十数箇所あり、メルロ=ポンティは、見るものとしての自己身体が他の見るものによって見られるという経験、さらには物によってさえ見られていると感じる経験を、〈見るもの-見られるもの〉が見るという経験とは区別して、考察している(例えば、Le visible et l’invisible, Gallimard, 1964, p. 183)。
 したがって、もし中西氏が『見えるものと見えないもの』(みすず書房 1989年、法政大学出版局の中島盛夫訳『見えるものと見えざるもの』は1994年刊行)を本論文執筆当時(1975年)に読んでいたとしたら(英訳は1968年に刊行されているから、まったく不可能なことではなかった)、昨日の記事で見たような仕方でメルロ=ポンティを援用して永藤論文を批判することはできなかったし、むしろ、反対に、永藤氏の所論こそメルロ=ポンティの存在論によって支持されると認めなくてはならなかったであろう。
 『眼と精神』が私たちの世界の見方を豊かにしてくれる魅惑的な思想を湛えた著作であることを私は喜んで認めるし、私自身、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の新しい読解のヒントをそこから得ているが、メルロ=ポンティの哲学をより深く理解するための注意深い読解を怠ってはならないと自らを戒める機会をこうして『万葉集原論』が与えてくれたことを私はむしろ感謝している。