内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

青時雨と青葉雨

2020-06-04 06:56:13 | 雑感

 昨日の昼過ぎのことでした。FNACに届いた本を歩いて取りに行きました。市の中心部のクレベール広場にある店舗まで普段は自転車で行きます。それでも片道15分位かかります。徒歩だとその三倍はかかります。それでも、歩いて行こうという気になったのです。
 空はちょっと曇っていましたが、雨の心配はせず、傘も持たずに自宅を出ました。ところが、クレベール広場まであと十分くらいのところにあるレピュブリック広場に差しかかったとき、空が俄にかき曇り、ぽつぽつと雨が降り始め、あっという間に強い雨脚になりました。
 広場の芝生のあちこちで車座になってさんざめいていた高校生らしき女の子たちは、慌てて広場を覆っている幾本かの銀杏の大樹の下へと逃げこむか、雨宿りできる軒先を求めて広場から四方に散っていきました。
 私も大きな銀杏の樹の下でしばらく雨が止むのを待ちました。いくら青葉に厚く覆われていたとはいえ、雨雫は滴り落ちて来たので、ワイシャツはすっかりびしょ濡れになってしまいました。十五分ほどで雨は上がりました。
 通り雨に濡れた樹々は、再び広がり始めた青空から注がれる陽射しと路上の水たまりからの反射光で美しく煌めき、それば眩しいほどでした。自転車で来ていたら、雨が降り始めた頃にはもう自宅に帰り着けていたかもしれません。そのかわり、この雨に濡れた青葉の美しさを見ることはできませんでした。
 六月一日の記事で紹介した『雨のことば辞典』に「青時雨」(あおしぐれ)という言葉が載っています。

木々の青葉からしたたり落ちる水滴を時雨に見たてた言葉。また、青葉若葉のころの時雨のような通り雨。時雨は、本来は冬の季語だが、青葉の「青」を頭につけ、夏の雨の意としている。「目には青葉」といわれる初夏は、青葉若葉がひときわ美しく際立つ季節、雨や霧や朝霧にぬれた木々の若葉の美しさが目に浮かぶことば。

 そのすぐ下に「青葉雨」(あおばあめ)という言葉も載っています。

木々の青葉に降りかかる雨。春萌え出た新芽は緑の濃さを増し、やがて青葉のときを迎える。青葉をぬらして降る雨が、青葉雨。みずみずしくすがすがしい気配にみちたことば。このころ吹く風が青葉風。爽やかさが薫る。

 これらの言葉の美しさがことのほか身に沁みて感じられた午後のひとときでありました。