内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

中世ヨーロッパにおける大学の誕生 ― 妄想老教師による反時代的考察(一)

2020-07-05 11:00:47 | 雑感

 さて、昨日の記事の末尾でお約束したように、なぜ私が『中世思想原典集成 精選』(第1~6巻)を購入したのか、ご説明させていただきます。
 少し長い話になりますが、日曜日ということで、午後のひととき、コーヒー或いは紅茶でも飲みながら(あるいはビールでもワインでも結構ですが、どうぞほどほどに)、お付き合いいただければ幸甚に存じます。
 近現代ヨーロッパの歴史・文化・社会・思想・諸制度等をよく理解するためには、中世ヨーロッパのそれらの理解が必須であること、今さら申し上げるまでもございません。
 ヨーロッパ史に関しましては、かの内藤湖南が有名な講演「應仁の亂に就て」の中で、「大體今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸れた歴史であつて、これを本當に知つて居れば、それで日本歴史は十分だと言つていゝのであります」というようなわけにはまいりません。
 もっとも、日本史におきましても、湖南のこの大胆不敵な史観は再検討の対象として引き合いに出されることはあっても、今日の歴史家でこの内藤史観にまともに与する人は皆無なのではないでしょうか。
 ヨーロッパ史においても、古代ギリシア・ローマを知らずして真の理解は得られなという、さらに射程の長い史観も当然主張されており、それもまたもっとな話ではございますが、今日のところはそこまで話を広げるつもりはございません。ただ、哲学史における古代と中世以降の非連続性、古代ギリシアにおけるフィロソフィアのそれ以降の哲学に対する異質性という問題について、若き卓越せる俊秀 Pierre Vesperini の La philosophie antique. Essai d’histoire (Fayard, 2019) を参考文献として挙げておくにとどめます。
 話をヨーロッパ中世に戻しましょう。中世と一口に申しましても、定義にもよりますが、少なく見積もっても千年の歴史があり、当然それを簡単にひと括りにすることはできません。
 『中世思想原典集成 精選1』は「ギリシア教父・ビザンティン思想」を対象としており、収録された著述家たちの活動範囲は、「時代的には紀元一世紀から八世紀、地理的にはローマ帝国の主にギリシア語が話されていた地域、ペロポネソス半島、北アフリカに加え、小アジア、パレスティナ、シリアにおよぶ。原著はほぼギリシア語(一部シリア語、アラビア語)である」(佐藤直子「解説」より)。つまり、古代から中世への過渡期も射程に入っています。
 「この広範囲にわたる時空間で成立したテクストから見えてくるものは、キリスト教の思想のヘレニズムの哲学・文化吸収による発展の軌跡であり、これに伴うギリシア哲学の主要概念の変奏であり、時代の変転のなかで信仰の核心を死守した当事者たちの苦闘の記録である」(同「解説」より)。ここを読んだだけでも、なにかワクワクしてきませんか(しないのかなあ、フツー)。
 ただ、この悠然たる調子で中世について語り続けると千夜一夜物語のように長い話になってしまいますので、『中世思想原典集成 精選』第2巻から第4巻までは、各巻の内容を示すタイトルのみ掲げます。それぞれ、「ラテン教父の系譜」「ラテン中世の興隆1」「ラテン中世の興隆2」となっております。
 それらを飛ばして(失礼の段、御海容を)、第5巻「大学の世紀1」へとまいります。第6巻「大学の世紀2」と合わせて、二巻が十三世紀に割り当てられていることからだけでも、いかに十三世紀がヨーロッパ中世思想にとって重要かがわかります。そして、そのタイトルが「大学の世紀」となっていることが、今回の私の話にとってきわめて重要なのであります。
 同巻の佐藤直子大先生の解説の一部を読んでみましょう。
 「学生数・教師数ともに激増した都市の学校には、個々の学校の垣根を越えた学知の制度化が次第に求められることとなる。教師たちは――ボローニャでは学生たちが先導したのであるが――、やがて同業者組合(ギルド)を造りあげる。これが「大学」の祖型である。学生の出身地、母国語、さらに身分は様々であったので、この同業者組合の中では、自ずと母国語を共にする者同士の同郷会が組織され、経済的に恵まれない学生のための学寮を運営するに至った。この学寮でなされていた講義が、改めて大学組織の中に組み入れられていく。「ソルボンヌ学寮」がパリ大学神学部の中枢へと発展していったことは、その好例である。質・量ともに凄まじい学知を担う大学では、教材とするテクスト、学位、教授資格の画一化を図ることとなった。十三世紀に入ると、これらの祖型はローマ教皇より、キリスト教界の知の最高学府である「大学」(Universitas ; Studium generale)として認可を受けることとなる。」
 つまり、中世キリスト教世界における知の統合化とその伝達にとって、大学という制度の成立が決定的な重要性をもっているということであります。この点もまた、あらためて申し上げるまでもなく、古くは Charles Homer Haskins の The Rise of Universites (1923) によって、比較的最近では Jacques Verger の Les universités au Moyen Age (PUF, 1999. 1re édition, 1973. 邦訳『中世の大学』がみすず書房から1979年に刊行されていますが、今は古書でしか入手できません。驚いたことに、みすず書房のサイトで検索しても「該当項目なし」になっています。つまり、文字通り、絶版のようです), L’essor des universités aux XIIIe siècle (Cerf, 1997), Histoire des universités. XIIe-XXIe siècle (avec Christophe Charle, PUF, 2012) などによって、繰り返し述べられております。
 なぜわたくしが西洋中世における制度としての大学の誕生に今あらためて強い関心をもつかと申しますと、大学人の端くれとして、今、大学が置かれている状況を、大学という制度が誕生した十二世紀末、特にその最初の隆盛期である十三世紀にまで立ち戻って、その時代の状況を想像力の及ぶかぎり感じ取り、そこから逆照射してみたいという、なんとも反時代的で、呆れるほど悠長な、ICTとAIを駆使したハイブリッド方式ウンタラカンタラ教育とは縁もゆかりもない情熱に取り憑かれているからなのでございます。
 人はそれを、急速に変化する現実についていけなくなった老いぼれ教師の現実逃避の隠蔽工作だと非難するかもしれません。
 いや、マジ、そーっすよ。ぶっちゃけ、最新技術を巧みに利用したクリエイティブでインターアクティブな新しい教育技術なんて、今さら学ぶ気なんか、さらさらねぇーし。そんなのはワケ―連中が頑張ってやりゃーいいじゃん。
 つい、本音が出てしまいました。妄言多謝。
 明日からは襟を正しまして、真面目に粛々と「大学とはなにか」という問題に向き合っていく所存でございます。