ある本の読後感というものは、本来その本を全部読み終えてから語るべきものなのでしょう。とすれば、私が今日の記事で以下に書くことは、ルール違反です。でも、今、私は、一昨日から読み始めた本に深く心を動かされつつあり、その今の気持をどうしてもここに記しておきたくて、この記事を書き始めました。
その本とは、西村ユミの『語りかける身体 看護ケアの現象学』(講談社学術文庫 2018年。初版 ゆみる出版 2001年)です。第一章「〈植物状態患者の世界〉への接近」を読み終え、第二章「看護経験の語り」を読んでいる途中で、後半の第三・四章はまだ覗いてもいません。しかし、これは日頃私が得意とする大げさな言い方ではなくて、この本を読み終えた後の自分は、読み始める前の自分とは同じではありえない、周りの世界が以前と違って見えるようになるだろう、と第一章を読んだだけで確言できるほどの衝撃を受けています。
著者についても本書についても何の予備知識もなかったのにこの本に惹かれた理由の一つは、著者がメルロ=ポンティの『知覚の現象学』を頻繁に引用しているからですが、第一章を読み終えた今は、そのようなこちら側からの主観的な知的関心を超えて、本書が開示してくれている世界に完全に引き込まれています。
通常は意識に覆い隠された「前意識的」次元における人と人のコミュニケーションの本来的構造が、看護師(医師ではない)と植物状態患者との交流という具体的な経験の現場への長期に渡る参加と、既成理論の概念装置を注意深く回避しつつ現場に密着した細やかな記述とを通じて、徐々に明らかにされ、そこから実践的理論が構築されていくそのプロセスは、まさに現象学的記述とそれに基づいた理論構成の見事な実践例です。
第二章は、一人の看護師の経験の語りの記録という形を取っています。それを読んでいる今、その語りを聴くことで、生命の交流を通じて人と人との間に意味が生まれる瞬間に立ち会っているかのような感動を私は覚えています。