内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

学科長のことは嫌いでも、日本学科のことは嫌いにならないでください

2020-07-15 00:00:00 | 雑感

 今日の記事は二千字を越える長文です。最後まで読んでいただければ、この上なく幸いに存じます。
 昨日の記事で話題にしたような自主的留年を可能にする理由の一つは、フランスの大学には日本の大学のような高額な授業料がなく、年間2万円足らずの登録料を払うだけで学生登録ができることです。日本の大学の場合、たとえ当該の女子学生と同様な理由で留年したいと考える学生がいたとしても、経済的負担を考えれば諦めざるをえないでしょう。
 もちろん、フランスでも、卒業が一年遅れれば、その一年間の生活費その他の経済的負担は本人あるいはその親あるいは経済的援助者にかかってくるわけですから、周りに反対されるということは大いにありえます。他方、ろくに勉強もせず、無益に留年を繰り返す、救いがたい学生がいることも事実です。これも、授業料が高額であればありえない話でしょう。
 それにしても、進級できるのに自ら進んで留年するというのはきわめて稀なケースです。しかし、彼女の決断は、ほぼ間違いなく、正しいと私たち教員は考えています。もう一度二年次の科目をしっかりやり直せば、三年次での成功率も確実に高まり、最終的によりしっかりとした日本語能力が身につくはずだからです。
 将来の飛躍のために、一旦後退して助走距離を長く取ろうという彼女の判断は賢明であり、あとは、その判断に見合った持続的な努力が彼女にできるかどうかに事の成否はかかっています。
 入学時に150人ほどいる一年生中、学部正規の三年間で卒業できるのは、わずか10%ほどで、残りは、留年するか(しかも一回とは限らない)、他学部に転籍するか、いなくなってしまうほど、日本学科で学士号を三年間で取得することは難しいのです。
 日本の大学ではありえないこのような低数値(本学でも他学科はここまで低くありません)になる理由の一つは、入学時に選抜がなく、高校までの成績とバカロレアの結果からして、挫折間違いなしの低学力の学生が多数入ってきてしまうことです。
 それゆえ、二年前の新入学制度導入に際して、日本学科は、言語学部で唯一、そういう低学力の学生たちに一年次の科目を二年かけて履修させるシステムを採用しました(このシステムの成果が現れるには、まだ数年かかるでしょう)。
 もう一つの理由は、より深刻なのですが、将来の職業について何の考えもなく、実に安易に日本学科を選ぶ学生たちが多いことです。現実には、主専攻として日本学科を選ぶのに充分に現実的で堅固な動機を持ち、そこで成功するための持続的な意志を三年間保てる学生は、全体の一割とまでは言わないにしても、せいぜい二割程度しかいません。
 それにもかかわらず、本学で教えられている25の外国語のうち、日本語の履修者数は英語についで第二位なのです。しかし、私はこれを好ましいことだとも、喜ばしいことだとも思っていません。労働市場における需要に対して、まったくバランスを欠いているからです。しかも、その需要に応えうるだけの能力を身につけるには、学部三年間では不十分なのです。
 選択科目として、あるいは、第二のディプロムとして、日本語・日本文化を学ぶというのならいいのです。その場合は、その語学力と知識がセールスポイントになりうる場合もあるでしょう。しかし、日本学科を卒業しただけでは、すぐに安定した職につける可能性は、きわめて乏しいのが現実です。日本語能力を活かせる職場・職業に話を限定すれば、学部だけで職が見つかる可能性はほぼゼロと言わざるを得ません。
 つまり、大変酷な言い方をすれば、日本学科を選択した学生たちの多くは、ほんとうは日本学科に来るべきではなかったのです。仮に日本学科を卒業すれば就職に有利になるのだったとすれば、多くの学生が自分の適性も考えずに来たがるのもわかります。しかし、現実はまるでその反対であることは上に説明した通りです。これは隠れもない事実です。つまり、彼らの多くは、短慮で誤った選択をしてしまっているのです。
 誤解のないように付け加えておきますが、そういう学生たちのことが憎らしくて、こんなことを言っているのではありません。まったく逆です。これからの社会を背負っていく学生たちの将来を考えて言っているのです。もっと賢明な選択があったのではないかと彼らに言いたいのです。
 日本学科でそれなりに勉強して、まあまあの成績で卒業はしたものの、将来に明確なヴィジョンもなく、安定した職にもつけない。いったいなんで自分は日本学科を選んでしまったのだろうと、卒業してから後悔してほしくないのです。だから、こんな憎まれ口を利いているのです。
 現実の時間を刻む時計の針は、残念ながら、逆に戻すことはできません。現在学科に在籍し、来年度も登録して頑張ろうとしている学生たちのやる気に冷水を浴びせたいのでももちろんありません。ただ、現実はしっかりと見ないといけません。「そのうちなんとかなるだろう」という楽天主義的時代はもう遠い昔です。今与えられたかなり厳しい条件の中での最善の選択は何か、よく考えなくてはいけません。最善だけが正解だとは言いません。今自分が為すべきことは何か、真剣に考えてほしいだけです。
 そのために、学生たちにひとつだけお願いがあります。学科長のことは嫌いでも、日本学科のことは嫌いにならないでください。