内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

この未曾有の一年の「後半戦」を愚痴っぽく始める陰鬱な老人日記の一頁

2020-07-01 13:30:27 | 雑感

 昨日で2020年の前半が終わり、今日から「後半戦」が始まりましたね。
 このわずか半年の間に、私には(いや、ほとんどの人にとって、と言っていいと思いますが)、本当にまったく欠片も想像できなかった未曾有の事態に世界中があれよあれよという間に巻き込まれていきました。
 フランスも、三月半ばから八週間に渡る厳しい外出制限令が布かれ、5月11日以降、緩和措置が段階的に取られて現在に至っています。しかし、今年の後半の展開、特に九月以降の新学年を実際にはどのように始めることができるのか、まだまだ確実な見通しが立たないまま、その準備をしなければならないというのが現在置かれている状況です。
 今では、大学の建物への出入りも、教職員たちは原則ほぼ自由になり、昨日、私は、3月12日以来はじめて日本学科がある建物の中に入り、学科長用の郵便受けに溜まっていた郵便物を取り出しました。そのほとんどは、しかし、日本の大学からの研究紀要の類でした。
 ここで一言、日本のいくつかの大学(名前は伏せますが、いずれも有名大学です)に対して文句を言わせていただきたい(って、ここで言っても無意味ってわかっていますが ― イクジナシ!)。
 分厚くご立派な、そして、ほとんど誰も読まない、(つまらない、とは言いません。中には確かに興味深いご研究もありますから)大学紀要をわざわざ高い郵送料を払って送りつけるのを止めていただきたい。正直言って、ありがた迷惑です。それらを保管しておく場所など、弊学科の小さな図書室にはないのです。なぜ紙媒体を止めて電子媒体にできないのでしょうか。その方が、テーマによっては、参照される可能性も高まりますし、学生たちにも紹介しやすい。
 それに、なんという資源の無駄遣いかと腹も立ちます。保管場所もないから、結局ほとんどすべて処分せざるを得ないのです。なんで、日本の印刷物をフランスで処分しなくてはならないのですか。もう一度言いますが、中身を知るには電子版で十分というか、ちょっと参照するにも、万が一引用する場合にも、その方がはるかに便利なのです。電子版は理系ではもうとっくの昔にスタンダードになっているではないですか。こういう反エコロジカルで時代遅れの前世紀の遺物を律儀に送つけてくる日本の人文系の大学はいったいなんのために存在しているのでしょうか。