内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「教室収容上限人数の半分まで」を原則としつつ、ほぼ全部の授業を対面式で行う

2020-09-02 23:59:59 | 雑感

 来週月曜日から今年度の授業が始まる。
 もっとも人数が多い一年生に対しては、すべての授業が対面式で行われる。もちろん、教員も学生もマスク着用が義務である。日本語実践の授業は五つのグループに分かれ、毎週全員出席する。一年生全員が出席する文法の授業は二グループに分かれるが、こちらもそれぞれ毎週全員出席が義務。
 日本学科一年生全員だけでなく、他学科の学生たちも選択する日本文明の二つの講義は、大きな階段教室で行われるが、これは出席者を二グループにわけ、それぞれ隔週で行う。古代から近世までカヴァーする講義では、講義を中継し、教室に出席しないグループも遠隔で同時受講する。近現代日本についての講義も、二グループに分けられるが、こちらはそれぞれのグループが隔週で出席する。教員は同じ内容を二回繰り返すことになり、通常の対面授業より教授内容は大幅に削減されるが、課題図書・宿題提出等でその欠を補う。
 二年生の授業もすべて対面式である。二年生は人数も六、七十人程度、それに対してすべての授業で充分に広い教室を確保できたので、毎週全員出席が義務である。
 三年生はもっとも人数が少なく、三十人程度なのだが、かねてより使用している教室がちょうどそれに見合った大きさであることが、皮肉なことに、逆に足枷になり、毎週全員出席は難しい授業がほとんどである。二グループに分けて、隔週というのが原則になる。この場合も、課題提出等でその欠を補う。
 上記の方式を前期の終わりの一月中旬まで続けることができるかどうかはわからない。実際、学長名で発表される方針がほとんど日毎に微妙に変わる。ここ数日間に教職員宛てに一斉メールで送られてきた感染予防対策関連の文書間にさえ矛盾があり、すぐに教員から指摘があった。ある文書では、教員に対して、マスク着用義務の例外として、「授業を行う際にはマスク着用は義務ではない」となっていたのに、他の文書では「キャンパス内ではマスク着用は常に義務」となっていた。その指摘を受けて、「授業中も教員のマスク着用は義務」と訂正された。
 身体的距離の確保についても、大学の指針には曖昧な文言が残っている。教室内での各人間の一メートルの距離の確保が原則とされながら、それに「可能な範囲で」という条件が付されている。これだけでは大きく異なった解釈の余地を残す。一メートル確保が不可能な場合、何人まで教室に受け入れていいのか、まったく指示がないからである。
 もちろん、常識的に考えて、収容上限人数まで受け入れていいと解釈する教員はいないだろう。しかし、夏休み前の指針には「収容上限人数の半分まで」という明確な制限規定があったのに、その制限規定が最新の指針では外されたため、何人まで受け入れるかが現場の判断に委ねられてしまっているのである。
 確かに、学部・学科によって、学生数に大きな差があり、使用する教室の大きさも異なるから、一律的な制限規定は現実的ではない。しかし、感染予防対策として科学的根拠があり且つ現実に適用可能な規則が明確に規定されないままに授業を開始せざるを得ないのは、教員にとっても、学生にとっても、不安であることは否定し難い。
 我が日本学科は、結論として、「教室収容上限人数の半分まで」を原則としつつ、ほぼ全部の授業を対面式で行うという方針でさしあたりは行く。