内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

詳解『聲の形』

2020-09-14 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業は、まずPCを立ち上げようとしたら画面が真っ暗なままで、プロジェクターも認識していない。いやな予感がしたが、幸い iPad も持参しており、授業で使うデータはすべてクラウドにアップしてあるので、準備してあったパワーポイントも無事開くことができ、プロジェクターにも問題なく接続できた。しかし、このテクニカル・トラブルで5分あまり時間をロスした。授業の後半では、『聲の形』の後半をところどころ飛ばしながら最後まで観る予定だったので、このロスは痛かった。
 PCを再起動して接続を再度試みる間、学生たちには、予めパワーポイントの中に貼り付けておいた YouTube 上の五十音の手話のレッスン(5分)を見させたが、これが大いに受けた。皆、動画を見ながら、各ひらがなの手の形を真似していた。「漢字の試験のときに使ったらだめだよ」と釘を刺したら、それがまた受けた。映画を観る前の問題として、「バカ」が手話ではどうなるかなと聞いておいた。その答えが、映画の終わりの方での植野直花の手話を西宮硝子が直すシーンの理解には必要だからだ。
 幸いPCの再起動の成功し、Blu-Ray プレイヤーもすぐに起動した。後は、映画をところどころで止めながら、ポイントを解説していった。半数近い学生がすでに観たことのある映画だったが、皆最後まで真剣に見ていた。直花が硝子を病院のフェンスに突き飛ばして詰るシーンでは、何か自分の特別な思いと重なったのでもあろうか、感極まってしばらく涙が止まらなくなってしまった女子学生がいた。いつも隣に座っている男子学生が気遣っていた。
 いくらVOで観ていたとしても、彼らの日本語能力では細部は理解できていなかっただろうし、手話の意味もわからないままに観ていたであろう。先週と今週の二回に分けて細部を詳しく説明し、さらに、先週土曜日には三十分の録音授業で補足説明(それが一昨日と昨日の記事の内容である)を配信しておいたから、それらすべてをあわせ観たことで、学生たちのこの名作の理解は過去の視聴のときよりも格段に深まったことだろう。
 課題として、映画の中から特に印象に残った場面を一つ選び、その理由を説明しなさい、という日本語での小論文を課した。締め切りは来週月曜日。彼らがどんなことを書いてくるか、楽しみである。