バシュラールの『空間の詩学』の初版はPUFから1957年刊行されているが、その後何度も版を重ねている。私の手元には、2001年刊行の第8版と2012年刊行の第11版の第二刷(2013年)がある。今年に入ってPUFの « Quadrige » 叢書の一冊として校訂版が新たに出版された。初版の本文はそのままだが、校訂者による Présentation が新たに加えられ、同じく校訂者による詳細目次・後注・参考文献表・人名索引・事項索引が巻末に置かれている。結果、頁数は旧版のほぼ倍に増えている。『新しい科学的精神』の校訂版も『空間の詩学』のそれと同時に刊行されている。
この『空間の詩学』の校訂版には、昨日の記事で引用した箇所に出てくる « immémorial » という語に校訂者による後注が付されている。このフランス語を「太古」と訳しただけではニュアンスが伝わりにくい。この脚注はそのニュアンスをよく解きほぐしてくれている。
形容詞 immémorial は、あまりにも古くてもはやまったく記憶が残っておらず、したがって、それを記述することもいつと特定することもできないものを指す。実詞としての大文字の Immémorial は、バシュラールが同書で「日付なき過去という大いなる領域」と呼ぶものを指している。その領域とは、遠い昔の無名の時の領域であり、最も古い先祖の記憶よりもさらに深いものである。それは、祖型あるいは恒常的な大いなる夢の領域であり、人間の心性の基底を成している。〈家〉は、祖型として、Immémorial なものに属しており、そこにおいて、女性的本性(Anima féminine)、〈母〉、そして、とりわけ〈子供〉の祖型と結ばれている。Immémorial なものは、思い出すことはできない。しかし、それと繋がれる場所がある。それが〈家〉である。
そうであるとして、私の〈家〉はどこにあるのか。