連載「情緒論素描」、今日はお休みします。今朝の時点では今日も連載を続けるつもりでいたのですが、夕刻以降に入ってきた数通のメールのせいで、すっかり気分を乱されてしまいました。
特定の個人攻撃になってはいけないので、例によって、漠然とした言い方になってしまうのですが、一言でいうと、「あんた、何様なの?」って話です。どうしたらそういう無礼な物言いができるのかと言わざるを得ないメールを、直接あるいは間接に続けざまに受け取って、どちらかと言えば温厚で、虫も殺さぬ優しい性格(嘘も大概にせんかい!)の私も、ちょっと唖然としてしまったんですね。
で、考え込んでしまったんです(言うまでもありませんが、自分のことは棚に上げてですよ。だって、そうしなければ、私、何も考えられませんもの)― どうしてそういうことになるのかなあって。もちろん、私も人様にそういう思いを散々させたことがあったであろうことは直ちに認めます(平身低頭)。
そんな私でもね、柄にもなく、あるチームを束ねる立場に今あるわけです(決して望んでなったわけではありませんが、もう三年間も。でも、あと一年で、それも、お・わ・り!)。幸いなことに、とてもいいスタッフに恵まれて、これまでチームワークという点で問題が発生することはありませんでした。それどころか、足りないところだらけの私を皆が支えてくれたおかげでここまでなんとかやって来られたというのが実情です(なんかユート―セーくさい言い方だよね~ ― だってぇ、私、実際、優等生だったしー)。
ところが、今回、明らかにチームワークが乱れる事態が発生しつつあります。その「火元」は明らかなのですが、それへの対処の仕方はかなり神経を使うデリケートな状況に今置かれています。一言で言うと、同僚間の意思疎通の不全という、どんな職場でもあるありきたりな問題なのですが、それを解消するためには、一応まがりなりも彼らの上司である私は、最良と思われる順番で当事者たちに話を聴き、その上で、現状で可能な最良の選択を提案しなくてはなりません。
問題が単に意見の相違とか考え方の違いということであれば、つまり最終目的において一致している場合は、解決策を見つけることもさほど難しくありません。ところが、今回の事態はそれより深刻です。そもそも相手の話を聴かない、というよりも聴けない、そして自分で勝手にプログラムを組んでしまって、それをチームとしての仕事のために適宜変更する柔軟性を持てない人がチームの中にいると、そのチームの生産性は著しく低下するだけでなく、チーム全体の仕事への意欲も低減してしまいます(だったら、なんでそんな人間を採用したんだよってことですよね。はい、確かにそれは私の責任です)。
幸いなことに、私が全面的な信頼を置き、かつ実際によく仕事のできる人たちがチームのコアを固めていますから、全体として大きな破綻はないだろうと思われますが、そのコアを担う人たちにしてみれば、どうしてこんな余計な苦労をしなくてはならないんだよぉと不満に思うでしょうし、何よりも、それによって不利益を被るのは学生たちで、それについて私たち教員は言い逃れができません。
まあ、何ができるわけでもないのですが、こういう事態になったときにも、あんまり深刻ぶらずに、なんとか対処しようと思えるようになったくらいには、数十年の馬齢を重ねて、成長した、と思いたいのですが。