内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「変換器」としての人間 ― シモンドン哲学のキーワード

2022-11-05 23:59:59 | 哲学

 トランスナショナリズムという言葉は、昨年の CEEJA のワークショップのテーマでも使われていて、それに触発されて書いたのが昨年10月25日の記事であった。「トランス」という接頭辞については、シモンドンの ILFIMEOT を真剣に読み始めた2016年からずっと気になっているのだが、トランスナショナリズムという言葉に出会って再びその関心が再燃した。
 このブログでも、シモンドンにおける transduction について度々言及している。特に2016年の四つの記事(2月24日25日4月2日5日6日)などではかなり詳細に分析してもいる。Le Grand Robert の transduction の項には、シモンドンの MEOT の次の一節が用例として採られている。

Or, dans un transducteur parfait, aucune énergie n’est actualisée ; aucune non plus n’est mise en réserve : le transducteur ne fait partie ni du domaine de l’énergie potentielle, ni du domaine de l’énergie actuelle : il est véritablement le médiateur entre ces deux domaines (…) C’est au cours de ce passage du potentiel à l’actuel qu’intervient l’information ; l’information est condition d’actualisation.
 Or, cette notion de transduction peut être généralisée. Présentée à l’état pur dans les transducteurs de différentes espèces, elle existe comme fonction régulatrice dans toutes les machines qui possèdent une certaine marge d’indétermination localisée dans leur fonctionnement. L’être humain, et le vivant plus généralement, sont essentiellement des transducteurs. Le vivant élémentaire, l’animal, est en lui-même un transducteur.

Du mode d’existence des objets techniques, Aubier, 1989, p. 143.

 この引用の中に出てくる « L’être humain, et le vivant plus généralement, sont essentiellement des transducteurs. » という一文からいろいろなことが考えられる。
 電気工学などでは、transducteur は英語の transducer の訳で、日本語では「変換器」と訳され、「音声信号を電気信号に換えるなど,ある物理量を他の種類の物理量に変換する装置の総称」である。人間が「変換器」であるとは、どういうことであろうか。
 「変換器」としての人間は、ある情報を別のコードに転換することによって、それまではコミュニケーションが成り立たなかった受容体にその情報を伝達する役割を担う。受容体は、情報の受容によって変容しうるものである。と同時に、その変容が成就することで変換器側にも変容が起こりうる。この変換・受容の過程は、人間という種内に限定されない。
 人間が単に A から B への既得情報の伝達の仲立ちあるいはメッセンジャーとして働くだけならば、人間は媒介者であると言える。しかし、伝達に不可欠な変換過程そのものにおいて情報が生成される場合、人間は単に情報の媒介者であるのではなく、情報生成の必然的な契機でもある。
 変換は、意識的・意志的・意図的なものに限定されるわけではない。生命体として実在するかぎり、ヒトは変換器として働いているのであり、ヒトだけではなく生命体はすべて変換器である。
 そして、この変換過程を通じて環世界全体に準安定状態が形成されたとすれば、変換器はそのための調整機能を果たしたことになり、この調整機能が可能なのは受容する側にそれを受け入れるだけの不確定性があったからである。