先程、三年生の「近代日本の歴史と社会」中間試験答案の採点を終えた。平均点は12点(20点満点)、最高点は18,2点(2名)、最低点は1点(1名)。受験者38名のうち、合格点の10点以上が27名。これでは平均点は高すぎるし合格者も多すぎる。問題が易し過ぎたようだ。学生たちが授業をよく聴き、試験準備もしっかりした結果とも言えなくもないが、10点台、11点台の8名は、和文仏訳と日本語のテキスト説明の方は落第させるべきレベルだったが、単語知識と語彙説明で点数を稼いで合格点を得ている。期末試験は配点を変えたほうがいいかもしれない。
さて、和文仏訳問題は以下の二題出題した。
1. 明治大正期の日本の知識人は、日本は欧米(おうべい)に比較(ひかく)してすこし遅れており、 克服(こくふく)されるべき欠陥(けっかん)をもってはいるが、基本的には欧米とおなじ方向に向かっている近代の文明国だと考える傾向(けいこう)があった。彼らはたいがい国民(こくみん)主義(しゅぎ)的な近代派(は)であり、この立場からは江戸時代は近世、明治維新(いしん)は革命(かくめい)であった。
欧米 : Occident 比較 : comparaison 克服する : surmonter 欠陥 : déficience
傾向 : tendance 国民主義 : nationalisme 近代派 : moderniste 革命 : révolution
2. 私はまず史料のなかに私自身が面白いと思った「事実」から出発する。研究史や既存(きぞん)の知識などはひとまず括弧(かっこ)にいれ、できるだけ先入見を排(はい)して、私がその時その場で素朴(そぼく)に面白いと思うということが、さしあたっては唯一(ゆいいつ)の史料選択(せんたく)の基準(きじゅん)である。
既存 : établi 括弧 : parenthèse 排する : écarter 素朴に : naïvement 唯一 : seul/unique 基準 : critère
第一問は学生たちにとってどこが難しいか。それは助詞の「は」がどこまで支配しているかの見極めである。「明治大正期の日本の知識人は」は文末の述部の「考える傾向があった」と呼応している。これを正確に理解できていた学生は数名しかいなかった。
この文には、「知識人は」に意味上呼応する動詞は他になく、仮に「知識人」の意味がわからなくても、少なくとも「人」であることはわかるはずであるから、呼応する動詞の特定はそれほど難しくなかったはずである。
ところが、「知識人は」のすぐ近くにそれと呼応する動詞を探そうとする学生は少なくない。しかし、見つからない。そこで、テキトーに動詞を補ってしまう。あるいは、「知識人は」「遅れて」いるとしてしまう。こうすると「日本は」が何と呼応しているのかわからなくなり、結果、大きく逸脱した誤訳をする。そこまで酷い訳(とも言えないが)はさすがに少数だったが。
「日本は」が「遅れて」、「欠陥をもってはいるが」「近代の文明国だ」すべてと呼応していることは理解できている学生が多かったが、それは構文理解に基づいてというよりも、文の内容についての既得の知識によるところが大きい。
第二文については、構文は易しいのに文の前半と後半の関係がよく理解できていない誤訳が意外に多かったのには失望した。この文の内容上のポイントは「近世」をどう訳すかだ。これを moderne とした場合は減点した。「近代」と「近世」の区別がこの文の内容上のポイントだからである。
第二問の第一文は「事実」を vérité あるいは réalité と訳している答案が少なからずあり、これはこの文章の言いたいことがわかっていないことを意味している。内容をよく考えもせず、単語レベルでテキトーに訳語を選ぶとこういうことになる。
第二文は、「排して」までをまず訳してしまい、史料選択の基準は「私がその時その場で素朴に面白いと思うということ」のみとしている訳がかなりあった。まあ、それでも、「研究史や既存の知識などはひとまず括弧にいれ、できるだけ先入見を排」することが史料選択の前提条件になっていることが理解できている訳に対しては大幅な減点はしなかった。
それに、「研究史」から「思うということ」までの全体が、さしあたっての「唯一の史料選択の基準」であるのかどうかの判断は、文法からだけではできない。第二文が第一文をより詳しく説明していること、ただ面白いと思うことが選択基準なのではなくて、そのために研究史や既存の知識を括弧に入れ、先入見を排することが方法的に前提されていることが理解できてはじめて正しい訳ができる。
概して言えることは、文章に対して近視眼的な学生が多いということである。文全体の構造、あるいは文章全体(といったって、どちらの問題もたった二文である)としての論理的整合性を考えずに、部分ごとに訳してくだけの学生が残念ながら少なくないのだ。それでもいわゆる部分点は得られるから、冒頭に示したような成績になってしまった。
期末試験は、採点をもっと厳しくするか、問題文そのものの難易度を高める必要がある。