今から思うと、2006年から2014年まで八年間勤めた前任校の学生たちとはほんとうに仲がよかったなあとしみじみ思う。大半の学生たちがとても人懐こかった。
風薫る皐月のある日、「先生、今日はいい天気だから、屋外授業にしませんか」と提案してくる。「いいね、じゃあキャンパスの芝生で授業しようか」と応じると、学生たちから歓声が上がった。
学期末が近づくと、「先生、お疲れ様でした」と「打ち上げ」の申し出がある。学生たちがお膳立てをしてくれる。ほんとうは飲食禁止の教室にノンアルコール飲料と菓子類持ち込んでおしゃべりして、最後に記念写真を撮るだけのことだけれども。
一部の学生たちではあるが、六年間にわたって日本での三週間の夏期語学研修に引率として同行した。その間、大学の授業外で見せる学生たちの生き生きとした姿は見ているだけで楽しかった。
授業中、私語がひどかったことがあって、日本語で、「てめえら、うるせえんだよ! 授業ツマラナイと思うなら、今すぐ出て行け!」と一喝したことがあった。それで静かにはなったが、誰一人出てはいかなかった。私が怒っていることは見ればわかるが、何を言っているのか、わからなかっただけのことである。
翌週、私が教室に入ると、全員起立、「先生、先週はスイマセンでした」と全員が深々と頭を下げる(これ、フランスでは普通ありえません)。「やめろ! もういいから。それに全員で謝るって、おかしくないか。私語してなかった人たちもいたのだから。こういう連帯責任的な行動はおかしいよ。変なところで日本人的な態度取らないでくれよ」、で全員一笑、一件落着。
現任校の学生たちに不満があってこんな思い出話をだらだらしているのではない。それはそもそもお門違いというものだ。ただ、2014年にストラスブールに着任して、もちろんそれは望んでいたことであり、その意味で嬉しかったし、今も満足している。が、こと学生たちの関係性ということになると、前任校で出会った数百人の学生たちが今でもとても懐かしい。
それにはいくつか理由があると思うが、すぐに三つ挙げられる。まず、新設学科だったので学生たちといっしょに学科を作っていったという、いわば「同志感」、つぎに、最初の二、三年間はほとんどの授業を私一人で担当していたので一緒に過ごす時間が長かったことから来る、時の「共有感」、そして、それによって生じる「親近感」。今になって気づいた、得難い経験をさせてもらったのだと。