今日は一日、コルマールのCEEJAでのワークショップに参加してきた。このワークショップは今年で五回目、私は初回から毎回オブザーバーとして参加している。主にヨーロッパの高等教育機関に所属している若手日本研究者たちに発表、相互交流、オブザーバーとのディスカッションの機会を提供することがその設立の趣旨である(今年のテーマと参加者についてはこちらのサイトを御覧ください)。
初日の今日は、午前中の二つの発表の後、午後は、コーネル大学名誉教授の酒井直樹先生とイナルコのミカエル・リュッケン教授のキーノートという贅沢なプログラムであった。発表・質疑応答はすべて英語で行われた。
酒井先生は昨年のプログラムにもアメリカからリモート講演をしていただいたが、今回は現地にお越しいただいた。キーノートの内容は、今年刊行された英語の最近著とその前身である日本語の著作『ひきこもりの国民主義』(岩波書店、2017年)の要点の紹介と出版にまつわるエピソードであった。
私は、先生の発表内容そのものとはすこしずれてしまう関心からなのだが、発表の中で繰り返されたArea Study という言葉にずっと引っ掛かっている。去年のご講演を聴いた後にもことの言葉について一つ質問したのだが、今回のご講演を聴いて、その質問がいかに的はずれであったか、今にして悟ったという次第である。
エリア・スタディという言葉は、今では日本でも広く使われるようになっているようで、大学の科目や学生の海外研修のプログラム名としてこの言葉が使われているのを見かけたことも何度かある。
具体的にはどのような研究を指すのだろうか。例えば、『イミダス』では、「地域研究.一定の地域や住民について,文化的・経済的・社会的な諸資料を集めて実地研究をする」とある。しかし、これだけではまだ漠然としていてよくわからない。『小学館ランダムハウス英和大辞典』では、「ある地域についての,天然資源,歴史,言語,制度および文化的・経済的特徴などの人類学的または社会学的研究;人間生態学(human ecology)の実地研究分野」とより詳しい定義となっているが、この定義に拠っても、なぜある地域を研究対象とするのか、実際にどのような研究方法を用いるのか、まだよくわからない。
『日本大百科全書』を見てみよう。
広義でとらえれば地域問題の研究であるが、本来は地理学の一分野として位置づけられていた。しかし、1930年代に国際関係論研究が促進されてくると、地理学を超えた形での地域研究が要請され、国際的視野に基づく地域および国家に関する歴史、政治、経済、社会制度、文化などの具体的かつ専門的情報を求めるための研究が推進された。国際関係論と相互補完関係にたつ地域研究は、30年代から第二次世界大戦にかけてアメリカで飛躍的に発展し、ミシガン大学の日本研究所をはじめとして多くの大学で地域研究組織が設立された。爾来 、今日に至るまで、おもに先進諸国において学際的研究を基盤とした地域研究が盛んに行われるようになっている。その結果、一定地域(あるいは国)の「個性」的側面が認識され、それに基づく世界秩序論や国際関係論が構築されつつある。日本においても大学や政府系の地域研究組織が活動しているが、近年、諸大学で国際関係論を主とする学部・学科が設立されているのにかんがみれば、それを補完する意味でも日本における地域研究は独特の視点と情報収集に基づきなおいっそうの進展を図らねばならないといえよう。
この説明によって、どのような歴史的文脈の中で何を目的として生まれてきたのかその輪郭が見えてきた。
『世界大百科事典』ではさらに詳しく説明されている。その「地域研究の歴史と課題」と題され節にはこうある。
〈地域研究〉の名称で総括される学問動向の歴史はまだ浅く,学術・教育体制の中に確立された地歩はどこの国にもまだないが,研究上の趨勢としてはすでに不可逆である。第2次大戦中に〈汝の敵を知れ〉という軍事・政治的要請を契機に,アメリカ,イギリス,フランスなどで,臨時に大学に設けられた非西欧諸国の現代口語と各国事情の細目にわたる知識の速修講座が〈地域研究〉の直接の基礎になったが,遠くは1919年のメキシコ革命に伴ってもたらされた地域情報と展望分析,ユカタン半島その他のインディアン研究にその起源はある。第2次大戦後に,それがソ連・東欧研究,中国研究などの異なる政治イデオロギー圏の研究,ならびに日本,東南アジア,アフリカ,ラテン・アメリカ研究などの〈現代〉地域研究として定着した。
これを読むと、もともとエリア・スタディーズは世界のすべての地域を対象としていたのではないことがわかる。その背景には明らかに先進諸国の一部の地政学的あるいは政治的要請があった。そこからわかることは、これらの先進諸国にとって、エリア・スタディーズはその成立の条件と目的からして、自国はその対象にはなり得ないということである。
もともとのエリア・スタディーズと近年日本で「エリア・スタディ」あるいは「地域研究」の名の下に行われている研究教育とはほとんど別物だと言わなくてはならない。もちろん、上掲の先進諸国で発展させられた研究方法から学ぶべきところは大いにあるだろう。しかし、それをただ適用あるいは応用するだけでは、エリア・スタディーズの政治的起源について内在的に批判する観点は構築できない。