他人を誹謗中傷したり、読む人が不快になるような言辞あるいはイメージ等を掲載したり、小耳に挟んだ噂話にすぎないことを事実めかして叙述したり、人に不利益や混乱を生じさせるために意図的にフェイク・ニュースを流したりする等、要するに悪意ある記事を書かなければ、何を書いてもかまわないのがブログのいいところだと私は思っています。
読み手側は、ちらっと見てツマランと思えば、読まずに別の場所に移動すれば時間を無駄にすることもありませんから、人様に迷惑をかけることもまずありません。
他方、途方もなく膨大な量の文章がそれこそ毎日二十四時間一年中ネット上に溢れ、それが何十年と続くわけですから(いや、それどころじゃないかも知れませんが、何十年先のことなど予想もできませんしね)、個人レベルでは、それらとの付き合いにも、遅かれ早かれ疲れてしまうのが自然のなりゆきのように思われます。
かく言う私もこのブロクで十年近く毎日記事を書いていますから、その量はかなりのもので、自分でさえとても全部は読み直せないし、またそんなつもりもありません。その多くは書きっぱなしのまま放置されています。
ただ、こうして続けていると、「ああ、そうだ、このことはかつて話題にしたことがあったな」と思い出すこともあり、そんなときはブログ内で検索をかけることで簡単に当該の記事を見つけられるのはやはり便利だなあと思うことはけっこうあります。ときには自分で自分の文章に感心したりすることもないわけではありません(って、これはただのナルシストでキモいですね)。
というわけで、人様には何も面白くなく、何の役にも立たないことでも、本人が気になることを気軽にメモしておける場所として私自身にはとても重宝しています。
それだけの話しだったら、自分個人のデータベースを作ればいいじゃないかと思われる方もいらっしゃると思いますし、確かにデータによっては人に知られたくないこともありますから、そこは使い分けということになります。
私がブログに記事をアップし続ける理由はいくつかあります。前にも何度か書いたことですが、まずは「生存確認」のためです。「なんとか死なずに生きています、ブログの記事を書くだけの元気はあります」と「生存反応」を自ら発信しているわけです。それに、もしかしたら同じようなことに関心を持たれている方の目にとまるかもしれないという期待はあります。さらには、平均的に低空飛行を続けている閲覧数や訪問者数が突然激増する日が偶にあると、なるほど、こういうタイトルや記事内容には関心が寄せられるのかと、ちょっとした発見もあります。それは楽しみでもあります(めったにありませんけれどね)。
正直ときどきちょっと疲れたなあと思うこともなくはないのですが、それでも飽きもせずに、大目標は立てることなく、「ああ、今日も生きている」という実感を噛みしめながら、続けていこうと思っています。