内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

三木清『パスカルにおける人間の研究』を読む(二)― 忘れられた問い「人間とは何であるか」

2023-10-03 23:59:59 | 哲学

 『パスカルにおける人間の研究』「第一 人間の分析」冒頭の一文 ―「パスカルの思想において中心的意義を有するものは「人間」の概念である」― 私たちもここから出発しよう。
 「人間とは何であるか」という「忘れられた問い」を「今思い起こすことは現在の我々の学問にとって退引きならぬ緊急事であろう」(11頁)と宣言した後、三木は『パンセ』の断章(S566、L687、B144)を引用する。仏語原文と三木自身の訳文を引こう。

J’avais passé longtemps dans l’étude des sciences abstraites, et le peu de communication qu’on en peut avoir m’en avait dégoûté. Quand j’ai commencé l’étude de l’homme, j’ai vu que ces sciences abstraites ne sont pas propres à l’homme, et que je m’égarais plus de ma condition en y pénétrant que les autres en l’ignorant. J’ai pardonné aux autres d’y peu savoir. Mais j’ai cru trouver au moins bien des compagnons en l’étude de l’homme, et que c’est le vrai étude qui lui est propre. J’ai été trompé  : il y en a encore moins qui l’étudient que la géométrie.

私はながいあいだ抽象的な学問の研究に時を過ごした、そしてこの研究ではひとは僅かの交際しか得られぬということがこれに対して私に嫌悪のこころを懐かせた。私が人間の研究(l’étude de l’homme)を始めるようになったとき、私は、これらの抽象的な学問が人間にふさわしくないこと、そしてそれを突込んで知っていながら私はそれを知っていない他の人々よりも一層多く私の状態について迷っていることを見た。私は他の人々がかの学問に関して僅かしか知らないのを赦した。けれど私は人間の研究においては少なくとも沢山な友達を見出すこと、そしてそれが人間にふさわしい真の研究であることを信じていた。私は騙されていたのであった、人間を研究する者は幾何学を研究する者よりもなお少数しかいない。

 岩波文庫の塩川徹也訳も « J’ai été trompé » を「私はだまされていた」と訳しているが、中公文庫の前田陽一訳は「私はまちがっていた」となっている。誰かがパスカルのことを騙したわけではないのだから、前田訳の方が良いのではないかと思う。
 ここで問われている「人間」とは、自然科学や文化科学が研究する人間ではない。それらは「対象化された人間」である。パスカルが研究するのは、「対象でなくて存在」である。より正確には、「存在のうちにおける特殊な存在」、「絶対に具体的なる現実」である。これに被造物という規定も加わる。心や魂は、「人間の存在の特殊なる存在論的規定、或いはこの存在の優れた意味における存在の仕方そのものの概念」である。