内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生命(zoè)と個生(bios)

2023-10-26 23:59:59 | 哲学

  一昨日の記事で話題にした日仏合同ゼミの四つのテーマのなかの二番目「生命倫理」のキーワードの一つとして、「生命(zoè)と人生(bios)」という対語を挙げた。これは以下のハインツ・ヴィスマン(1935‐)の文章を参照してのことであった。

À la lumière de ces acquis, on peut tenter une autre approche qui, finalement, converge avec la reconstruction phénoménologique de la vie comme existence. Il s’agit de partir de la distinction grecque, approfondie par Aristote, entre zoè et bios, qui pose une nette distinction entre, d’une part, la vie végétative (zoè), qui se maintient dans un échange avec le monde extérieur réglé de manière invariable (encore que des mutations et des transformations évolutives peuvent survenir, mais de manière différée, c’est-à-dire dans la descendance), et, d’autre part, l’intégration progressive, c’est-à-dire historique, des expériences vécues (bios). L’intégration de modifications par la sélection naturelle est une chose, l’intégration de ses expériences par un individu en est une autre. Si le critère d’une vie vécue, et non pas simplement subie, est la capacité d’un organisme à intégrer lui-même les expériences qu’il fait de ses rapports avec le milieu, autrement dit s’il a une histoire de sa vie, il sort de l’ordre de la zoè pour entrer dans celui du bios, dont l’aboutissement est traditionnellement reconnu dans la biographie humaine. » 
                     Avant-Propos de Heinz Wismann pour Florence Burgat, Une autre existence. La condition animale, Albin Michel, 2012,p. 7-8.

 こちらの日本学科の学生たちにはフランス語原文を示しただけで、特に説明はしなかった。その必要もないくらい明快な文章である。しかし、日本人学生たちのなかでフランス語を学習している学生はほとんどいないし、いたとしてもまだ初歩段階だから、この文章を理解するには難儀するだろう。そこで、一昨日の遠隔合同授業で簡単に説明した。
 生命(zoè)は、植物的な生命を意味し、その生命と環境世界との関係は一定しており、個体間の差異はない。この生命が環境世界の変化に適応するために変化するとしても、または自然淘汰あるいは突然変異によって変化するとしても、それらの変化は種のレベルにおいてであり、しかもそれらの変化は次世代に起こる。
 「人生」と一応は訳したが、上掲の文章を読むかぎり、実は適訳とは言えない。というのは、bios は、生物個体個々に固有な生のことであり、必ずしも人間には限定されないからである。人間以外の生物個体であっても、その個体について、同じ環境世界に生きている同一の種に属する他のすべての個体とは異なった固有の経験を認めることができ、かつその経験を個体が順次統合することで、個体自身が環境内で成長・変化し、環境に適応できるだけでなく、それを変えることもできる場合、つまり固有の個体史が認められ得る場合、それはやはり bios だからである。これらの点を考慮すれば、「個生」という造語のほうが相応しいだろう。
 フロランス・ビュルガは、動物にも「個生」があり、それは人間の「個生」つまり一人一人の人生と同様に尊重されなくてはならないと主張する。この主張に対して学生たちがどのような議論を展開していくか、注視していきたい。