夕の闇は私を悲哀に引入れ、夜の闇は私を不安に陥れる。普通には情緒もしくは感情と見なされているこれらすべてのものは、[…]人間の存在論的なる原本的規定である。従って私はそれを人間的存在の状態性と名付けようと思う。それはパスカルの光彩ある言葉を用いるならば、人間の « conditions » である。状態性とはまさしく世界における我々の「存在の仕方」、あるいは我々が世界に「出逢う仕方」に外ならない。(16‐17頁)
三木は「状態性」をパスカルにおける « conditions » に対応させているが、これは『パンセ』の用語法の点から見るとやや正確さを欠いている。なぜなら、『パンセ』において condition の単数形と複数形とでは意味が違うからである。上掲の引用からわかるように、三木にとっての状態性とは、人間がさまざまな情緒あるいは感情の間を揺れ動かざるを得ないことであり、そのつど置かれる condition は同一ではなく様々に異なるから複数形になっている。
しかし、『パンセ』で condition が複数形で使われるのは、主に、世界における人間のさまざまな在り方あるいは社会的身分のことであり、情緒や感情には限定されない。 他方、単数形の場合こそが、三木の言う「存在論的なる原本的規定」のことであり、それは人間であるかぎり変えようのない普遍的な規定である。
« Condition de l’homme » と題された断章(S56,L24,B127)には、Inconstance, ennui, inquiétude という三つの言葉(自筆原稿ではすべて大文字)が並んでいるだけある。そこから推測できることは、この三つの言葉によってパスカルが示そうとしているのは、つねにこれらの状態の裡を彷徨せざるを得ないのが condition de l’homme、つまり、人間にとって変えようのない存在様態、人間の生存にとって「普遍的な条件、運命、逃れられぬ定め」(小学館ロベール仏和大辞典)、「人間のありよう」(塩川訳)だということである。
以上を一言にまとめると、さまざまな conditions に置かれ、そのなかでつねに揺れ動かなくてはならないことが人間的存在の condition だということである。
これが「人間の存在論的なる原本的規定」であり、それを「状態性」と名付けよう、というのが三木の言いたいことであったのであろう。