内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

三木清『パスカルにおける人間の研究』を読む(六)― alliance は交渉ではない

2023-10-10 13:29:05 | 哲学

 昨日問題にした段落の末尾に三木は注を付している。その注のなかにも「所有」が出て来る。その注を、そのなかに三木が自身の訳で引用している『パンセ』の断章も含めて、全文引用する。

パスカルの意味する自然は単に状態性に関わる存在であるばかりでなく、またそれは実に人間の交渉に関わる存在であった。彼はいう、「人間は、例えば、彼の識っているすべてのものに関係をもっている。彼は彼を容れるために場所を、持続するために時間を、生きるために運動を、彼を組立てるために元素を、自己を養うために熱と食物とを、呼吸するために空気を必要とする。彼は光を見、彼は物体を感ずる。要するにすべてのものは彼の交渉的関係のもとにおかれる」(72)。交渉は人間が世界を所有するひとつの仕方に外ならない。世界は我々にとって原始的には「対してある」存在ではなくしてむしろ「為めにある」存在である。それは対象界でなくて交渉界、ギリシア的に現わせば ὃν ὡς πρȃγμα(交渉にかかわる存在)である。(18‐19頁)

 人間が現実的に存在するにはこれらすべてを必要としている。それらとの関係を「交渉的関係」と呼んでいるわけだが、原語は alliance である。前田陽一訳は「縁」、塩川徹也訳は「類縁関係」とそれぞれ訳している。
 この断章でパスカルが alliance という言葉を使っているのは、モンテーニュが1569年にラテン語原文から仏訳したレモン・スボンの『自然神学』第二章の次の一節を念頭に置いてのことである。

L’homme « se rapporte aux corps insensibles […] ; il en est nourri, il loge chez eux, il vit par leur moyen, et ne peut s’en passer un seul moment […]. Il a une grande alliance, convenance et amitié avec les autres créatures ».
                    Pascal, Les Provinciales, Pensées et opuscules divers, La pochothèque, 2004, p. 948, n. 2.

 それらなしには人間が生きられない被造物たちと人間との関係が問題であるのだから、それに対して「交渉」という言葉は弱すぎないだろうか。今日的な用語法からすれば、交渉できるのは、関係に変更の余地がある場合であり、事によっては交渉が不調に終わり、契約に至らない、あるいは、契約破棄に至る場合もありうる。ところが、上掲の文脈では、生存にとって不可欠な関係が問題なのだから、その意味ではむしろ交渉の余地などない。
 ユダヤ・キリスト教的な文脈では、alliance は、神と人との間の「契約」を意味する。実際、『パンセ』のなかでも主にこの意味で使われている。「旧約」(ancienne alliance)とは、「神がその選民イスラエルの民と結んだ契約」であり、「新約」(nouvelle alliance)とは、「神がイエス・キリストの十字架の贖罪によって人類と結んだ救いの契約」である。その文脈を離れても、alliance は、双務的な一体化としての結束あるいは同盟を意味する言葉である。「交渉」という言葉では、このような強い意味は表し得ない。