内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鶏眼対策 ― 痛みを感じるか感じないかの境目

2021-10-21 23:59:59 | 雑感

 今日、午後四時から大学の学科教員室で修士一年の一人と修論について面談する約束がはいっていた。昨夜からフランス中央北部を中心に暴風が吹き荒れ、アルザス地方でも朝から鉄道ダイヤに乱れが出るほどだった。午後にはその暴風も収まり、晴れ間が広がった。そこで、大学まで歩いていくことにした。コースにもよるが、片道4,5キロほどである。
 しかし、ずっと舗装路を歩くことになるから、昨日の記事で話題にした鶏眼になんらかの措置をほどこさないと痛みに耐えられなくなるかもしれない。どうするか。鶏眼の芯が圧迫されなければ痛みはないのだからと、その芯の周りに絆創膏を二枚重ねで貼ってみた。僅か2ミリほどの高さの「土手」で芯を囲ったわけである。厚手の靴下を履き、厚底のウォーキングシューズを履いて少し歩いてみた。若干の違和感はあるが、痛みはまったくない。こんな措置で痛みをなくせるのかとちょっと驚いた。往復9キロ歩いたが、行き帰りともまったく問題なし。
 痛みを感じるか感じないかの境目はほんとうに僅かな差にあることを実感した次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鶏眼の痛みに苦しめられる

2021-10-20 23:59:59 | 雑感

 今朝十時に完成原稿を日本の編集者に送信した。七時間の時差があるから、先方にとっては午後五時になる。送信直前まで、いささか冗長に過ぎると思われる想い出話のところをすべて削除してしまうかどうかで迷った。結局そのまま送り、編集者の意見を聞くことにした。返事があるまで、原稿はもう見返さないことにした。
 月曜日から右足裏中央やや趾よりに痛みを感じるようになった。火曜日には自宅の板張りの床の上を素足で歩くのに困難を覚えるほどに痛みがひどくなった。足裏を見て驚いた。土踏まずと趾の付け根のちょうど真ん中あたりに直径数ミリの円形状の固くなった赤みがあり、その中心に硬い芯のようなしこりがあり、そこが圧迫されると鋭い痛みを覚える。間違いなく鶏眼(俗称:魚の目)である。
 鶏眼は、長時間歩行など、足裏の一定の狭い箇所に過度の負担が継続的にかかるとできる。特に靴が合っていないときにできやすい。先週まではまったく問題なかった。それどころか、体調はすこぶるよかった。先月末に購入したミズノの Wave Rider 25 も足によく馴染んでいた。それにもかかわらずできてしまった。
 日曜日に十五キロ余り走ったときには何の問題もなかった。翌月曜日に十五キロ近く走ったあとに、若干の痛みを覚えたが、一過性だろうと高をくくっていた。火曜日午後も十キロ走った。足裏に痛みは感じたが、走れないほどではなかった。ただ、タイムはかなり落ちた。
 自分の足によく合ったシューズが見つかったと喜んでいたが、実は足裏の一部に過度の負荷がかかっていた結果として鶏眼ができてしまったのだろう。かなりショックである。
 ジョギング用のクッション性の高い厚底シューズを履き、かつ厚手の弾力性のある靴下を履くと痛みはかなり軽減する。鶏眼の芯の部分を圧迫し、その内側の先端が神経に触れるのを避けるようにすれば、痛みはほぼない。しかし、そのためにつま先立って歩いたり、あるいは踵に重心をずらして歩いたりすれば、脚の他の部分に余計な負担がかかる。そのような無理を続ければ、さらに重大な結果を引き起こしかねない。
 今日はそれでも午後にゆっくりと二時間かけて十キロ森の中を歩いて、足の状態を確認した。落ち葉の絨毯に覆われた土の道を歩くときは、やはりそのクッションのおかげで楽に歩ける。しかし、アスファルトの上では痛みを我慢しなくてはならない。
 結論として、明日から三日間ジョギングは休む。歩くのもできるだけ避け、大学への移動は自転車を使い、様子を見ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


原稿を書き上げてはみたものの……

2021-10-19 23:59:59 | 雑感

 明日締め切りの原稿を昨日ほぼ書き上げ、今日の午前中はその推敲に充てた。いわゆる学術論文ではないし、そうかと言って私的な感想を綴るだけの随筆でもなく、なにかどっちつかずの中途半端な文章になってしまった。ほんとうにこんなものでいいのだろうかと、一応の推敲を終えた今になって、ひどく不満であり不安であり、まったく自信がない。しかし、これ以外のものは自分には書こうにも書けなかっただろうとも思わざるを得ない。ただただ文字通りの浅学菲才を恥じるばかりだ。もし編集者がこれではどうにもなりませんと判断されたならば、今さら書き直しもできないから、不採用ということでも致し方ないと思っている。もちろん、そうなってしまっては、私を推薦してくださった方にご迷惑をおかけすることになるし、依頼原稿を没にするのは編集者も避けたいところであろう。しかし、それでもこう思うのは、恥ずかしい文章を人目に晒したくないからというよりも、拙文がそれによって追悼される人の不名誉になることだけは避けたいからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


原稿用紙に一字一字丁寧に書くという作業

2021-10-18 23:59:59 | 講義の余白から

 今日は、「日本の文明と文化」という日本語のみで行われる授業の中間試験だった。問題も解答も日本語である。いわゆる小論文形式で1000字から1200字という制限を設けた。答案は、400字詰め原稿用紙を使い、縦書きで書かせた。試験問題は一週間前に告知してあり、下書きを持参するように伝えてあったので、当然全員持って来ていた。問題は大問一題だけで、授業の内容をよく理解していないと解答のしようがなく、けっして易しい問題ではなかった。答案を回収する際に一瞥を与えただけなので、まだ漠然とした印象に過ぎないが、かなりよく考えた上で書いた答案がほとんどであったと思う。
 予め準備した下書きを原稿用紙に書き写すだけでよいのだから、一時間もあれば充分だと思っていた。ところが、一時間で提出した学生は一人しかいなかった。これは、手書きでしかも原稿用紙のマスに一字一字書き入れていくことが、彼らにとってはかなりの集中力を要する容易ならざる作業であることを意味している。
 先週の授業で、原稿用紙の正しい使い方を説明したサイトを示し、それをよく読み、規則を守って書くように念を押しておいた。規則が守られていない場合、減点すると注意してある。さらに、試験開始直前に「汚い字の答案は読まない。合格点はあげない」と言明してあったから、なおのこと彼らは慎重を期して書いていた。中には、原稿用紙のマス目に顔を近づけ、まるで彫刻刀で刻みつけるかのように一字一字書いていた学生もいた。
 現在、日本の学校ではどれくらい原稿用紙が使われているのだろう。小学校では、作文はいまでも原稿用紙を使うのが原則なのだろうか。中学、高校ではどうなのだろう。大学ではもう使う機会はないのではないだろうか。
 私は普段から原稿用紙を使って字を書くことがある。これは文章を書くためではなく、書写のためである。お気に入りの古典、例えば源氏物語の一節を、ゆっくりとできるだけ丁寧に一字一字のバランスに注意しながら数行書く。どう贔屓目に見ても上手な字ではないが、それでも、マス目を一つ一つ埋めていく作業は心を落ち着かせてくれる。話す速度でもなく、キーボードを叩く速度でもなく、一つ一つの文字を注意して手で書くという、このうえなく緩やかな速度で言葉に接していると、文字の不思議に気づかされたり、書写している文字や言葉への慈しみが自ずと湧いてきたりする。
 試験中、学生たちはどんな気持ちで原稿用紙のマス目を埋めていたのだろう。拷問のように感じたかも知れない。学年末まであと三回、同じように原稿用紙に答案を書かせるつもりだが、一字一字丁寧に文字を書くという作業を通じて、学生たちには日本語の一つ一つの言葉に対するより繊細な感覚を持つようになってほしいと願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


追悼の意を込めて書かれた文章について

2021-10-17 20:59:10 | 雑感

 午前4時起床。5時より原稿執筆再開。8時前にほぼ完成。結びはあえて書かなかった。一日「寝かせて」から仕上げるつもり。8時32分から10時9分までジョギング。走行距離15,7キロ。主にロベルソーの森の中を走る。この季節、落葉が土の小道を覆う。その上を走るとき、それがとても気持ちのよいクッションになる。走る喜びを感じる。
 今回執筆した文章は、この8月に亡くなられたフランスの哲学者の追悼号のために書かれた。公になる文章として追悼の意を込めて書くのはこれがはじめてだ。ある人から推薦を受け、編集者からの依頼に応じる形であった。何をどう書くか、一ヶ月以上思案した。結び以外は書き終えた今もなお、これでよかったか、まだ自問している。しかし、ほかにどういう書き方があったかと自分に問えば、こう書くしかなかったとも思える。
 引き比べるのは僭越でしかないが、吉本隆明の『増補 追悼私記』(洋泉社 1997年)の「あとがき」の以下の一節が心に深く染み込んだ。

いったい死者を悼むために書かれた文章のなかで、わたしは何をしようとし、どうなっているか、腕をこまねいてかんがえこまざるをえなかった。そのあげくいくつかのことに気づいた。もしこれらの追悼の文章に共通項があるとしたら、死を契機にして書かれた掌篇の人間論というほかないということだ。そしてただの人間スケッチの断片とちがうところを強いていえば、痛切(切実)がモチーフになっているということだ。だがこの痛切(切実)ということにも偽感情がまじっていないことはない。これはわたし自身にもわかるくらいだから、読む人はなおさらそう感ずるにちがいない。でもこの偽感情はわたしの人格からくるというより、よりおおく死者にたいする私なりの礼節からきている。それで赦されているような気がする。

 私の場合、赦されているかどうかさえ、わからない。稚拙な文章で故人の名を汚しただけなのかも知れない。それでも、感謝の気持を込めて書いたこと、これだけは信じてもらいたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


原稿執筆に一日集中する

2021-10-16 23:59:59 | 雑感

 今日は、9月8日以来38日ぶりにジョギングもウォーキングもせず、一日家に籠もりきりであった。
 昨晩、学科の同僚二人と午後6時半から深夜零時近くまで市の中心部にあるカフェで談笑し、そこまでの行き帰りは徒歩で合計8キロほど歩いた。帰宅途中で交通事故を目撃した。サイレンを鳴らしながら大通りが交差する交差点に入ってきた車両(警察なのか救急車なのかは街路樹に隠れて見えなかった)と一般車両とが衝突し、一般車両のほうが交差点内で何回かスピンしたあと止まったところが見えた。その車に乗っていた二人がすぐに降りてきたので、大した怪我ではなかったようだ。それにしても深夜零時過ぎに突然大きな衝突音が辺りに響いたので驚いた。交通事故の瞬間を間近で見たのはこれが生まれてはじめてであった。
 今朝は8時まで寝ていた。9時から正味50分ほど、修士の学生とZOOMを使ってのいつもの日本語レッスン。10時からは20日締め切りの原稿執筆に没頭する。8000字から10000字というのが依頼された長さで、その3分の2は書けた。残りの部分についても草稿は制限字数以上に準備できている。明日はその草稿を削りながら原稿を完成させる。


回帰としての突破

2021-10-15 23:59:59 | 哲学

 今日の記事は昨日の記事への若干の補足にとどまる。『教導説話』の Gwendoline Jarczyk と Pierre-Jean Labarrière による仏訳 Discours du discernementLes traités et le poème, Albin Miche, 1996 所収)は、昨日相原信作の邦訳を引用した箇所での「事物を衝き破って」を « faire sa percée dans les choses » と訳し、以下のような脚注を付けている。

durchbrechen : terme caractéristique, chez Maître Eckhart, du mouvement de « retour » qui traverse les choses et opère une brèche dans la sorte de coupole (représentation cosmologique à la Ptolémée) qui enserre le monde et le coupe de son origine. Plutôt que de fuir les réalités immédiates, Eckhart affirme qu’un homme « détaché » les prend divinement, et opère en elles la « percée » qui lui permet de saisir Dieu à même les choses.

 エックハルトが「事物を衝き破る」というとき、それは、世界をその起源から切り離し、世界を覆っている天蓋に、世界内の諸事物を通じて突破口を作る「回帰」の運動を意味している。「脱却した」人は、直接的な諸現実から逃れるのではなく、それら一切を神の被造物と捉えることで、その内にあって「衝き破り」、そうすることでそれら諸事物において直に神を捉えることできるとエックハルトは言明している。
 このような世界像に新プラトン主義の色濃い影響を見る研究者も多い。それを真っ向から否定するつもりは専門家でもない私にはさらさらないが、個人的にはそう読んではつまらないと思っている。エックハルトに固有の表現世界があり、そこでの自在かつ巧妙な暗喩の操り方には他の追随を許さないところがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


事物を「衝き破る(durchbrechen)」

2021-10-14 23:59:59 | 哲学

 今月20日締め切りの原稿のことをこの一月半忘れたことは片時もないと言ってもよいくらいなのだが、その原稿のために、今朝方明日の授業の準備を済ませた後は、マイスター・エックハルトの「衝き破る durchbrechen」(名詞は「突破 Durchbruch」)について調べていた。
 「衝き破る durchbrechen」は、エックハルトの神学思想の核心を直接示す語であり、初期から晩年までその思想を通底するテーマでもある。エックハルト以後、ライン川流域神秘思想を代表するゾイゼやタウラーによってもこれらの語は使われているが、初めて神学用語として用いたのはおそらくエックハルトである。
 しかし、今回この語について調べた理由は、エックハルトについて書くためではなく、この語の示す「突破する」「衝き破る」という動きがある一つの現代の哲学のキー・ノートになっていると考えてのことである。
エックハルトの初期の著作の一つである『教導説話』にこの動詞が出てくる箇所を相原信作の高雅な訳(講談社学術文庫 1985年)で引こう。

 かくも神を愛する人こそ神の前に善しとせられるところの人である。なぜなら彼は実に一切の物を神のものとして、すなわちそれらの物をそれらの物自体以上に貴重なものとして受取るからである。もちろんこのような境地にいたるには熱心と愛と、人間の内面への充分な洞察と、潑剌として真実に理性的現実的な認識―精神は事物や人間との接触においてこの認識に立脚すべきである―とが必要である。このようなものは逃避によって、すなわち事物を回避し外界から閑寂の所に逃れることによっては学得することは不可能であって、どこに居ろうと誰と一緒であろうと、人はぜひとも内面的な閑寂というものを学び取らなければならない。すなわち事物を衝き破って(durchbrechen)己れの神をその中に認得し、満身の力をこめてこの神を己の中に本質として形成することを学ぶべきである。(31頁)

 この引用の中にあるように、事物を回避するのではなく、事物の只中において事物を衝き破り、事物から脱却して自由になることで、内なる神へと段階的に回帰するのが「突破」であり、その突破の成就がとりもなおさず魂の裡での神の誕生であるというのがエックハルトの生涯のテーマである。しかし、それは中世の学匠に固有のものではなく、現代においてもテーマとして生きられ得るものではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明治の国家主義の回避を可能にした新渡戸の忠誠論の問題

2021-10-13 23:59:59 | 読游摘録

 来年2月の日仏合同ゼミの課題図書として新渡戸稲造の『武士道』を選び、9月から修士一年の学生たちと読みはじめ、今日の演習で第14章まで読み終えた。来週は休講、再来週一週間は万聖節の休暇なので、残りの最後の3章は休み明けの11月3日に読む。それ以降は、毎回、学生たち各自に自分でテーマを選ばせ、そのテーマについての日本語での発表練習に入る。
 この合同ゼミのために武士道をテーマとして選んだからだけではなく、来年3月にストラスブール大学での開催が予定されている国際シンポジウムでも武士道について発表することになっているので、武士道に関する文献を渉猟しつつ、武士道の起源から近現代の武士道論に至るまでの歴史について自分なりに思想史的な見通しを立てる作業を夏休みからぼちぼちとやっている。
 その作業の中で、新渡戸稲造の『武士道』についても、その位置づけの問題に解答を出さなくてはならない。そのために有用な資料には事欠かないが、昨日言及した Oliver AnsartParaître et prétendre : L’imposture du bushido dans le Japon pré-moderne もその一つである。

En fait, il faudrait ajouter que, souvent, les traités sur la voie des guerriers produits pendant l’ère Meiji étaient bien plus fantaisistes que la reconstruction de Nitobe. La plupart, à travers une description idéalisée de la moralité des guerriers des époques précédentes, visaient à inculquer dans les esprits du Japon nouveau un sentiment de désintéressement et de dévouement au pays, et surtout une loyauté absolue à l’empereur. Or, le souci de la nation et la loyauté à l’empereur étaient des notions inconnues pour la plupart des guerriers de l’époque des Tokugawa, au moins jusqu’au début du XIXe siècle. Nitobe ne partageait pas la ferveur impériale de ses critiques, et, en cela au moins, il était bien plus proche de la mentalité des guerriers de la période précédente, qui étaient censés n’avoir de loyauté que pour leur seigneur.

 新渡戸の武士道論とその他の同時代の武士道論とを区別する際にこの指摘は重要だ。新渡戸の武士道論は、武士の忠誠論をそのまま天皇への絶対的忠誠論へと変換させようとする国家主義者たちによる武士道論とは明確に一線を画す。しかし、これは事の半面でしかない。なぜなら、新渡戸は、忠誠心を外面と内面とに分け、外面において主君への忠誠を尽くすことは、内面における絶対神への帰依を妨げるものではないという議論を展開するからだ。
 これは彼がクエーカー教徒であったことと無関係ではない。新渡戸は、外的忠誠とは独立に内面における神への臣従が可能であるとすることによって、武士の忠誠論とキリスト教信仰の融和を図ろうとしている。しかし、天皇を絶対化する明治の国家主義の回避を可能にした新渡戸のこの議論は、内面的価値の独立とその普遍化という別の問題を引き起こさざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランスで最近出版された武士道についての二冊の良著について

2021-10-12 23:59:59 | 読游摘録

 日本語での武士道についての研究書は膨大な数に上り、一通り目を通すことさえ素人の私にはとてもできない。現在簡単に入手できる武士道についての一般書に話を限っても、その数には驚かされる。それらの著作を通覧すると、その中には、れっきとした歴史学者による信頼のおける著作もあるが、ときに首を傾げたくなる内容の本もあり、専門の歴史学者にとっても武士道を論ずることはなかなかの難題であることがわかる。
 ところが、海外では、フランスもご多分に漏れないが、「Bushido」という言葉は、それに関心がない人たちでも、さらには日本に特に関心がない人たちでも、少なくとも一度はどこかで聞いたことがあるほどに一般によく知られている日本語の一つである。
 例えば、Le Grand Robert には次のように説明されている。

Ensemble des préceptes qui constituent la morale du bushi japonais (mot répandu en Occident par l’enseignement des arts martiaux, et généralement dévié de son sens).

 この説明を読むと、 « Bushido » は、武士の行動を律する倫理的諸規則の全体を指す言葉だが、日本の武道が西洋で広く学ばれるようになり、その結果として、もともとの意味から逸脱して使われることが多い言葉だと認識されていることがわかる。この説明だけでは、何かそのような諸規則がまとまった形で存在するような誤解も与えかねないが、説明として特に間違っているわけではない。
 他方、日本史を専門とするフランス人歴史学者たちによる、武士ならびに武士道についての優れた著作も最近出版されている。私が特に注目するのは、Oliver Ansart, Paraître et prétendre : L’imposture du bushidô dans le japon pré-moderne, Les Belles Lettres, 2020Pierre-François Souyri, Les Guerriers dans la rizière. La longue histoire des samouraïs, Flammarion, 2021 (2017) である。後者の初版は2017年に刊行されているが、前者の出版後、今年に入って第二版が出版されており、この新版では前者への言及が見られ、全体にも若干の増補が行われている。
 両著に共通しているのは、歴史的現実としての武士の生き方と武士道との関係の歴史的変化を実に的確に描き出していることだ。このニ著を読んだ後には、いわゆる武士道が歴史的に実在した武士たちの現実の生き方をそのまま反映したものではないことを否定することはもはや誰にもできないだろう。これが武士道だと提示できるような、時代を超えて一貫して守られてきた何らかの武士の行動倫理の体系などそもそも存在しない。
 とはいえ、「武士道」は近代日本において「捏造された伝統」だと切り捨てるのも行き過ぎである。このことは、特に Ansart の本によって説得的に論証されている。Souyri の本が武士の起源からその近代におけるイメージまでをたどる見通しの良い通史であるのに対して、Ansart の本は特に近世の武士道に考察の対象を絞っている。なぜ江戸時代の武士たち自身が武士道を必要としたかという問いに対して、近世日本の身分社会の中で武士が置かれていた状況を丁寧に描き出すことで明快な答えを出している。