内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

コンソラティオとしての哲学のはじまりは、悲嘆に暮れる者の眼に溢れる涙を拭うこと

2023-01-29 20:37:48 | 哲学

 「西洋哲学史」あるいはそれに類した科目を選択科目としてただ単位が取りやすいからというだけの理由でさして興味もなく受講した人でも、古代ギリシアにおいて哲学のはじまりは驚き(タウマゼイン)にあるとされたという話はもしかしたら記憶の片隅に残っているかもしれない。
 おそらくその科目を担当された先生は、プラトンの『テアイテトス』のソクラテスの言葉か、アリストテレスの『形而上学』の一節を引用されたことであろう。
 前者に該当する箇所は、「実にその驚異(タウマゼイン)の情こそ知恵を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求知(哲学)の始まりはこれよりほかにないのだ」(岩波文庫、田中美知太郎訳)、あるいは、「つまり不思議に思うこと(タウマゼイン)は、知恵を愛する者に固有の経験だからだ。というのも、これ以外に知恵を愛することの始まりはない」(光文社古典新訳文庫、渡辺邦夫訳)である。
 後者を岩波文庫の出隆訳によって引く。「けだし、驚異することによって人間は、今日でもそうであるがあの最初の場合にもあのように、知恵を愛求し(フィロソフェイン)〔哲学し〕始めたのである。」
 西田幾多郎は、『無の自覚的限定』(1932年)に収められた論文「場所の自己限定としての意識作用」(初出、『思想』1930年9月)の最後の一文で、「哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と述べている。これはこれで味わい深い。私の博士論文の「バッソ・オスティナート」はまさにこの一文であった。
 『哲学のなぐさめ』の著者ボエティウスは、プラトン哲学に深く傾倒したキリスト教徒であった。幽閉の身で処刑されることを待ちつつ書いた『哲学のなぐさめ』において、突然の人生の転落を悲嘆する「私」の前に出現した女神「哲学」が手ずから「私」にまずしてくれたことは、その衣で「私」の眼に溢れる涙を拭いとることだった。『哲学のなぐさめ』第1巻第二散文を松崎一平訳(京都大学学術出版会、西洋古典叢書、2023年)で全文引こう。

でも」と彼女はいう、「治療の時機です、不平のではなく」。それから両のひとみを凝らしてわたしを見て、断じる、「いったいあなたなのですか、かつてわれらの乳で養われ、われらの滋養で教え育まれて、樫のように堅固な、男らしいこころを身につけたあのひとが。それにしましても、われらは授けました、あなたがさきに放り捨てないかぎり、不敗の強固さであなたを防御する武器を。わたしがわかりますね。なぜ黙っているのですか。恥ずかしさで、それとも呆然自失で、ことばを失ったのですか。恥ずかしさでならばまだしも、わたしの見るところ、呆然自失があなたを押しつぶしたのです」。そして、口がきけないばかりか、舌をなくしたかのように黙しているわたしを見ると、わたしの胸にやさしく手をあてて、いう、「なにも危険はありません。嗜眠病にかかっています。嘘で欺かれた精神の病いに共通の。このひとは自分を、しばし忘れてしまいました。たやすく思い出すでしょう、たしかにわれらを、まえに知っていたのでしたら。それができるように、死すべき事物の雲霧でかすんでいるこのひとの両のひとみを、しばしのあいだぬぐってあげましょう」。こういって、彼女は、涙のあふれるわが両の眼を、衣にこしらえたひだでぬぐいとってくれました。

 「涙を拭う」ことに始まる「なぐさめ」の哲学は、近世・近代の数世紀、忘却の淵に沈んでいた。悲嘆に暮れる者たちのなぐさめ、慰謝、ケア等々、すべて心理学や精神医学あるいは宗教に請け負われてきた現代においても、「なぐさめ」の哲学など、自分たちの研究に忙しい哲学者たちからは一顧だにされることはなかった。
 しかし、本来の哲学の大切な役割の一つは、それらの人たちの言葉にならぬ前の涙に寄り添い、こちらが予め用意した枠組みの中でそれを解釈することなく、立ち直ることを言葉で強いることなく、ただ時至ればその涙を拭い、涙で曇って見えなかった眼を再び見開かせることにある、と私は言いたい。