私の博士論文(2003年、ストラスブール大学哲学部提出)の第三章はメーン・ド・ビランと西田の比較研究にあてられているのだが、その最初の脚注でスピリチュアリスムという言葉を本研究では使わない理由をかなり長々と述べている。
その第一の理由は、この語が二つの異なった互いに和解し難い二つの思想に適用されているという哲学史的な事実にある。これはアンリ・グイエの次の指摘に依拠している。
« Biran, Ravaisson, Lachelier, Bergson… vues de haut, leurs œuvres tracent une même ligne qui symbolise le mouvement du spiritualisme en France au XIXe siècle. Vu de près, ce mouvement suit deux directions : ici, la spiritualité coïncide avec l’intériorité du vital ; là, elle se définit par une subjectivité radicalement différente de la vitalité. L’anthropologie biranienne inaugure cette seconde tradition : le bergsonisme est l’épanouissement de la première » (Henri GOUHIER, Bergson et le Christ des Évangiles, Paris, Vrin, (3e éd. revue et corrigée), p. 20).
第一の方向性は、精神性を生命の内面性と同一視する。つまり、人間だけでなく、外界からの刺激によってのみ斉一的に同じ機械的反応を繰り返すだけではないすべての生命体に、それぞれ程度さこそあれ、精神性(=内面性)を認める。それに対して、第二の方向性は、精神性を生物的な反応とは根本的に異なった主観性と考える。
グイエによれば、この後者を代表するのがメーン・ド・ビランの人間学であり、ベルクソンの生命の哲学は前者の最も発展した形態である。時系列的には、ラヴェッソンの哲学的業績は後者から前者への過渡期のそれに相当する。しかし、ラヴェッソンの哲学をベルクソン哲学への道を準備したという意味での「先駆者」としてのみ位置づけることは、その哲学の可能性を過小評価することになるばかりでなく、その大切な部分を見逃すことになるだろう。
ラヴェッソンの哲学的企図は、スピリチュアリスムの名の下に一括りにされた和解し難い二つの流れを合流させることにあり、その企図の要になるのがその独特な習慣概念であったと見るべきではないだろうか。そして、そのような独自の哲学の構想を、『習慣論』からほぼ三十年後に書かれた『十九世紀フランス哲学』の中でラヴェッソンは「スピリチュアリスム的な実在論ないし実証主義」(杉山直樹/村松正隆訳『十九世紀フランス哲学』知泉書館、2017年、337頁)と名づけたのではなかったか。