内的自己対話-川の畔のささめごと

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『失われた時はもう探さないで』第一篇「ジャニコーのほうへ」(2)― ナショナルなものがその根に食い込んでいるスピリチュアリスム

2023-01-22 23:59:59 | 哲学

 ナショナルなものとは何かという問いに答えるためには ナシオン(nation) という概念がいつどこでどのように成立したかをまず確認しておく必要がある。この点について、ヨーロッパ近現代文化史の優れた研究者である Anne-Marie Thiesse の La création des identités nationales. Europe XVIIIe-XXe siècle, Éditions du Seuil, 1999, 2001 がよき案内役となる。

Rien de plus international que la formation des identités nationales. Le paradoxe est de taille puisque l’irréductible singularité de chaque identité nationale a été le prétexte d’affrontements sanglants. Elles sont bien pourtant issues du même modèle, dont la mise au point s’est effectuée dans le cadre d’intenses échanges internationaux.

 ナショナルな同一性はインターナショナルな関係(とりわけナショナル間の緊張・葛藤・闘争)を通じてしか形成され得ない。ヨーロッパという特定の地域での複数のナショナルな同一性は、その地域のナシオン同士が一つのモデルを共有する限りにおいて、それぞれに異なった同一性として形成されうる。この同一性は、しかし、それぞれのナシオンの長い歴史のなかで徐々に形成されたものではない。

La véritable naissance d’une nation, c’est le moment où une poignée d’individus déclare qu’elle existe et entreprend de le prouver. Les premiers exemples ne sont pas antérieurs au XVIIIᵉ siècle : pas de nation au sens moderne, c’est-à-dire politique, avant cette date. L’idée, de fait, s’inscrit dans une révolution idéologique. La nation est conçue comme une communauté large, unie par des liens qui ne sont ni la sujétion à un même souverain ni l’appartenance à une même religion ou à un même état social. Elle n’est pas déterminée par le monarque, son existence est indépendante des aléas de l’histoire dynastique ou militaire. La nation ressemble fort au Peuple de la philosophie politique, ce Peuple qui, selon les théoriciens du contrat social, peut seul conférer la légitimité du pouvoir. Mais elle est plus que cela. Le Peuple est une abstraction, la nation est vivante.

 ナシオンは、一部の人たちがその存在を宣言し、それを証明しようとするときに誕生する。その最初の例は十八世紀以前には遡れない。それ以前には、近代的なナシオン、つまり政治的な意味でのナシオンは存在しなかった。ナシオンという政治的概念の誕生そのものが政治史及び政治思想史における近代への転換点である。
 十九世紀から二十世紀前半にかけてのフランスのスピリチュアリスムがアングロサクソン系の物質主義やドイツ系の観念論に対して批判的に対抗するために形成されたことと政治的概念である ナシオンの形成とは、単に共時的であるだけなのであろうか。前者は後者を前提としているとまでは言えなくても、スピリチュアリスムにはナショナルなものが含まれているとは言えるのではないか。そのことをジャニコーは Ravaisson et la métaphysique の冒頭で言おうとしていたのだと考えると腑に落ちる。
 スピリチュアリスムの系譜に連なる哲学者たちがそのことを自覚していたとは限らない。むしろ自覚されていない場合のほうがナショナルなものへの執着は強くなることもあるだろう。
 仏語版 Encyclopædia Universalis の spiritualisme の項はドミニック・ジャニコーが執筆している。その記事の中でジャニコーは、古代ギリシア哲学、特にプラトンの哲学をその淵源として示しているが、これは精神を物質に対して優位に置くすべての哲学に当てはまることで、スピリチュアリスムはその学説としての曖昧さゆえにその起源を特定することはできないとも述べている。中世から近世にかけても、ある点においてフランス・スピリチュアリスムとの共通点を指摘できる哲学説はあるにしても、その起源として特定できるような哲学はない。
 同記事のラヴェッソンの哲学を紹介する節で、ジャニコーは、次のように述べている。

Comme le plus souvent dans l’histoire des idées, l’évolution ne s’est pas faite à partir d’un débat fondamental, mais en fonction d’une réaction de circonstance dirigée contre le matérialisme du XVIII siècle.

 西洋哲学史という枠組みの中でも、フランスのスピリチュアリスムは十八世紀ヨーロッパを席巻した物質主義へ対抗する哲学思想として形成されたという説明は成り立つ。しかし、上に見たようなナショナルなものが、一見「非政治的な」の哲学思想の形成にとって不可欠とまでは言えないにしても、その根に食い込んでいることは見逃してはならないと思う。