神岡町にある飛騨三十三観音のお寺を回ってきた。
この町の歴史は古く、1300年前に銅が発見されて以来、戦国時代から藩政時代、戦前戦後を通して豊富な鉱物資源があるが故に、町は歴史の波に翻弄され、鉱山の栄枯盛衰とともに歩んできた。
2001年に鉱脈の枯渇や、公害問題などで閉山することになり、町は大きく変貌した。
東洋一といわれた鉱山は、戦前戦後とも隆盛を極め、高度成長期にはTVの普及率は全国一で、映画も大都市と同時に封切られたといわれている。
神通川水系の高原川両岸の僅かな平地には、商店や住宅が密集し、迷路のような道が縦横に走り、往時の賑わいを髣髴とさせるが、今は人の流れも少なく閑散としている。
廃墟となった工場や鉱山住宅、緑の戻らない山、廃線となった鉄道の駅舎やレール、離村や高齢化で無住になってしまったお寺など、かつて栄えた痕跡を留めているだけに、一層の寂寥感が胸に去来した。
町は鉱山という大きな支えを失ったダメージを補うため、廃坑を利用した「スーパーカミオカンデ」などの事業開発や豊かな自然や古い歴史を生かした観光開発に取り組んでいる。
しかし自然条件や立地条件も厳しく、神岡城や鉱山資料館、郷土館、新しく出来た江馬氏館などの観光施設は冬季4ヶ月間は閉鎖されてしまう。
廃線となった神岡鉄道も、飛騨市は2006年、同鉄道からレールなど資産が無償譲渡され、筆頭株主の三井金属鉱業の寄付金15億円で、観光や体験学習をメーンとした不定期運行の鉄道として再生すると正式発表した。
しかしその後の調査で、廃線後の再認可は踏み切りを認めないとか、赤字を出さない経営、安全性の確保など課題が多く、飛騨市も腰を引いたまま現在に至っている。
夕張市の財政破綻が脳裏をかすめる中、積極的な観光開発で町の活性化を目指すか、手をこまねいて過疎化に甘んじるか、行政の舵取りの難しさを、雪に閉ざされた静寂な町を見下ろしながら痛感した。
この町の歴史は古く、1300年前に銅が発見されて以来、戦国時代から藩政時代、戦前戦後を通して豊富な鉱物資源があるが故に、町は歴史の波に翻弄され、鉱山の栄枯盛衰とともに歩んできた。
2001年に鉱脈の枯渇や、公害問題などで閉山することになり、町は大きく変貌した。
東洋一といわれた鉱山は、戦前戦後とも隆盛を極め、高度成長期にはTVの普及率は全国一で、映画も大都市と同時に封切られたといわれている。
神通川水系の高原川両岸の僅かな平地には、商店や住宅が密集し、迷路のような道が縦横に走り、往時の賑わいを髣髴とさせるが、今は人の流れも少なく閑散としている。
廃墟となった工場や鉱山住宅、緑の戻らない山、廃線となった鉄道の駅舎やレール、離村や高齢化で無住になってしまったお寺など、かつて栄えた痕跡を留めているだけに、一層の寂寥感が胸に去来した。
町は鉱山という大きな支えを失ったダメージを補うため、廃坑を利用した「スーパーカミオカンデ」などの事業開発や豊かな自然や古い歴史を生かした観光開発に取り組んでいる。
しかし自然条件や立地条件も厳しく、神岡城や鉱山資料館、郷土館、新しく出来た江馬氏館などの観光施設は冬季4ヶ月間は閉鎖されてしまう。
廃線となった神岡鉄道も、飛騨市は2006年、同鉄道からレールなど資産が無償譲渡され、筆頭株主の三井金属鉱業の寄付金15億円で、観光や体験学習をメーンとした不定期運行の鉄道として再生すると正式発表した。
しかしその後の調査で、廃線後の再認可は踏み切りを認めないとか、赤字を出さない経営、安全性の確保など課題が多く、飛騨市も腰を引いたまま現在に至っている。
夕張市の財政破綻が脳裏をかすめる中、積極的な観光開発で町の活性化を目指すか、手をこまねいて過疎化に甘んじるか、行政の舵取りの難しさを、雪に閉ざされた静寂な町を見下ろしながら痛感した。