名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

終戦記念日に思う

2009年08月15日 | セカンドルーム

 今日は浜松から来たもう1家族が加わって、我が家も賑やかになってきた。

  
去年の夏は高山に集まって、近くのせせらぎで水遊びや魚釣りをしたり、大きな露天風呂でおおはしゃぎして楽しんだ。


薪割りや運搬を手伝った後は、庭で流しそうめんを食べて、町では味わえない仕事や食事の体験もした。

都会の我が家は、子供達が伸び伸びと遊ぶ自然もスペースも無いが、おもちゃのプールや部屋でゲームをしたりして、飽きればそれぞれの親に付いて街でショッピングなどを楽しんでいる。
子供達はどこにいても活発に動き回って、疲れることもなく夏休みを楽しんでいる。

64年前の5才児は、疎開先の田舎にいて、毎日はだしにパンツ1枚の姿で、近所の川や沼で遊びまわっていた。
戦中戦後の記憶は実体験と、後から大人に聞いた話が錯綜して定かではないが、いつもひもじい思いをしていたが、まわりも貧しかったので、それを不自由に思った記憶は無い。
翌年の2月に、ソ連に抑留されていた父の戦死を知って、小学生の姉と母が抱き合って泣いていた姿だけは鮮明に覚えているが、ほんとうの悲しみと悔しさは時を経てからやってきたように思う。
6畳ほどの農家の離れで、母親と5人の子供が寄り添って暮らした後、戦後の混乱がおさまらない名古屋へ戻ってきたのは、小学校3年生の夏だった。
今の孫達と対照的な生活をしてきたが、再び体験させたく無いとの思いは、楽しく遊んでいる姿を見るたびに強くなる。

8月は広島・長崎の原爆や沖縄の悲劇、靖国問題など、テレビや新聞などで特集を組んで報道をしているが、それを見る気も読む気もしない。
また旧ソ連に抑留された人たちの70万人にも及ぶ記録が、ロシア政府に残っているとの報道も伝わってくる。
それらの映像や記録を見れば、それに関わりのある人たちの戦争はいつまで経って終わらないし、心穏やかになれない。
戦争の悲劇を語り継ぐ必要はあるかもしれないが、残虐で悲惨な戦争の記録がその抑止力になるとは思えないし、同じ悲劇を繰り返していることは歴史が証明している。
マスコミも10年1日の如く、過去の傷跡を伝えるだけでなく、もっと平和の重要性を説いてもらいたい。

コメント (4)
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