朝日カルチャーセンター特別講座
「山頭火~歩いたり地球一周半」を聴講してきた。
講師の大塚幹郎氏は、「収入の無い、山頭火がどうして
15年も放浪ができたのか」という疑問が、
取材10年のきっかけになったと、語っている。
山頭火と親交があった人々に取材をし、映像や証言を交えて、
彼の実像が明らかになっていく。
元テレビ会社の報道局長ならではの、インタビューと
取材で、一味違う山頭火像が浮き彫りにされた。
山頭火は、人生の後半を費やして、俳句を詠みながら、
東北から九州まで、放浪の旅を続けた。
44歳で堂守をしていた観音堂を捨て、放浪の旅に出るが、
今風に言えば、脱サラに躓いたホームレスであろうか。
90歳を越す所縁の人たちへのインタビューで、
15年間の行乞・行脚を支えた根拠が明らかにされていく。
ぐうたら山頭火を、受け入れる寛容な時代背景もさることながら、
持って生まれた人柄の良さと、「歩かないと句ができない」という
彼の信念が、放浪を可能にしたと推察される。
むかしから、漂泊・放浪・流転という言葉に、
ロマンを感じていたので、彼の生き様には、
以前から興味を持っていた。
家族や仕事に縛られる生活が、当たり前であるが故に、
そこから解放されることを夢見る男は多い。
業を背負い、自嘲を繰り返す生き様を、ぬるま湯の年金暮しでは、
とても真似が出来ないと、今更ながら思い知らされた講座であった。
「どうしようもない わたしが歩いている」 山頭火
自由に生きた人と言うイメージを持っていますが、
自由も自由かなり奔放な生き方の人だったようですね?
時代は違いますが、松尾芭蕉も奥の細道で知られるように
放浪の旅をしましたが、
奔放というイメージはありません。
放浪と言う言葉さえ適当ではないかもしれません。
俳人には旅にでる人が多いのでしょうか?
旅に死すれば本望ということでしょうか?
ぬるま湯の年金暮しでは・・・>私にはnkoさんはぬるま湯に浸っておられるとは思えません。
引退後はご自分の思うようにお過ごしと思えますが?
山頭火は大分にもその足跡があり、街起こしで
お祭りがあり、出かけたことがあります。
ほとんど、物乞いの生活だったでしょうが
句も全く形にはまらない、そのままの気持ちを
詠んだものばかりですが、味がありますね。
歩かなければ句が詠めない…。
これは、何だか分かる気がします。その場所に
立ってみないと句が出来ない…。そんな気がします。
山頭火は、過酷な宿命を背負い、俳句を供に、
行乞放浪の道しかなかったようです。
円空や播隆などの修験僧も似た境遇で、
厳しい修行で己の業を乗り切ろうと旅を続けました。
芭蕉は既に名声を得て、優雅でゆとりのある漂泊を
楽しんだような気がします。
人生を旅に喩えますが、漂泊の俳人や修験僧の
生き様を知ると、それを実感します。
さて、自分の生き様はと、自問してもやっぱり
ぬるま湯かと・・・
九州では堂守をしたり、草庵も構えていたので、
足跡が多いようです。
「分け入っても分け入っても青い山」を詠んでいます。
季語や17文字にとらわれない自由な句は、
味があっていいですね。
俳句を詠むryoさんにとって、どうでしょうか。
歩かないと・・・は、何事にも通じそうですね。