名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

大塚幹郎氏が語る 「山頭火~歩いたり地球一周半」

2014年06月14日 | 趣味


朝日カルチャーセンター特別講座
「山頭火~歩いたり地球一周半」を聴講してきた。

講師の大塚幹郎氏は、「収入の無い、山頭火がどうして
15年も放浪ができたのか」という疑問が、
取材10年のきっかけになったと、語っている。

山頭火と親交があった人々に取材をし、映像や証言を交えて、
彼の実像が明らかになっていく。

元テレビ会社の報道局長ならではの、インタビューと
取材で、一味違う山頭火像が浮き彫りにされた。



山頭火は、人生の後半を費やして、俳句を詠みながら、
東北から九州まで、放浪の旅を続けた。

44歳で堂守をしていた観音堂を捨て、放浪の旅に出るが、
今風に言えば、脱サラに躓いたホームレスであろうか。

90歳を越す所縁の人たちへのインタビューで、
15年間の行乞・行脚を支えた根拠が明らかにされていく。

ぐうたら山頭火を、受け入れる寛容な時代背景もさることながら、
持って生まれた人柄の良さと、「歩かないと句ができない」という
彼の信念が、放浪を可能にしたと推察される。

むかしから、漂泊・放浪・流転という言葉に、
ロマンを感じていたので、彼の生き様には、
以前から興味を持っていた。

家族や仕事に縛られる生活が、当たり前であるが故に、
そこから解放されることを夢見る男は多い。

業を背負い、自嘲を繰り返す生き様を、ぬるま湯の年金暮しでは、
とても真似が出来ないと、今更ながら思い知らされた講座であった。

「どうしようもない わたしが歩いている」 山頭火
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自由な句 (nko)
2014-06-15 07:14:48
ryoさん
九州では堂守をしたり、草庵も構えていたので、
足跡が多いようです。
「分け入っても分け入っても青い山」を詠んでいます。

季語や17文字にとらわれない自由な句は、
味があっていいですね。
俳句を詠むryoさんにとって、どうでしょうか。
歩かないと・・・は、何事にも通じそうですね。
返信する
漂泊 (nko)
2014-06-15 06:58:12
Reiさん
山頭火は、過酷な宿命を背負い、俳句を供に、
行乞放浪の道しかなかったようです。
円空や播隆などの修験僧も似た境遇で、
厳しい修行で己の業を乗り切ろうと旅を続けました。
芭蕉は既に名声を得て、優雅でゆとりのある漂泊を
楽しんだような気がします。

人生を旅に喩えますが、漂泊の俳人や修験僧の
生き様を知ると、それを実感します。
さて、自分の生き様はと、自問してもやっぱり
ぬるま湯かと・・・
返信する
山頭火 (ryo)
2014-06-15 06:53:09
おはようございます!
山頭火は大分にもその足跡があり、街起こしで
お祭りがあり、出かけたことがあります。
ほとんど、物乞いの生活だったでしょうが
句も全く形にはまらない、そのままの気持ちを
詠んだものばかりですが、味がありますね。
歩かなければ句が詠めない…。
これは、何だか分かる気がします。その場所に
立ってみないと句が出来ない…。そんな気がします。
返信する
俳人 (Rei)
2014-06-14 23:08:06
山頭火、名前は知っていますが詳しくは知りませんでした。
自由に生きた人と言うイメージを持っていますが、
自由も自由かなり奔放な生き方の人だったようですね?
時代は違いますが、松尾芭蕉も奥の細道で知られるように
放浪の旅をしましたが、
奔放というイメージはありません。
放浪と言う言葉さえ適当ではないかもしれません。

俳人には旅にでる人が多いのでしょうか?
旅に死すれば本望ということでしょうか?

ぬるま湯の年金暮しでは・・・>私にはnkoさんはぬるま湯に浸っておられるとは思えません。
引退後はご自分の思うようにお過ごしと思えますが?
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