午後五時過ぎにシエナに到着。旧市街入口のホテルなのだから散歩に出よう。
シエナは三つの丘からできてる。その間、いちばん底に位置するのがカンポ広場↓
傾斜した貝殻型の広場、そのいちばん低い部分にプブリコ宮殿がある
一方、大聖堂は丘の上
大きさではなく美しさにおいてイタリア指折りである
坂ばかりだから、階段ばかり
教会の近くは滑りやすい大理石なので気をつけて
スーパーでちょこっとお買いもの
お昼のワイナリーで食べすぎたので今晩はこのぐらいでいいかな
**
翌朝、体力も回復して青空の下歩き出す
↓街のすぐ外に築かれた要塞は↓
↓巨大なメディチ家の紋章がはめこまれている。
1555年、シエナは最大のライバル=フィレンツェに敗れた。
フィレンツェは監視のためにこの要塞を建設して兵を駐屯させていた。
↓要塞のわきに、町に向かって手を挙げている女性の像↓彼女は?
彼女はこの町の出身の聖所カタリーナ。
ミイラになった彼女の首が祭壇に置かれているドメニコ教会↓
内部は改装されてひろびろとしている↓
カタリーナは若くしてドメニコ修道士会に入ろうとしたが、「あんたみたいな若くてきれいな人はどこぞへ嫁にいきなさい」として断られた。
それでも未練があったので在家の信者として敬虔な生活をおくっていると、キリストが目の前に現れて彼女と対話した。
↓こちらはキリストではなく聖ドメニコと語るカタリーナの姿↓二人の生きた時代は百年以上ちがうのだから出会ったことなどないのだけれど
カタリーナの家だったところは記念館・教会になっている。
そのすぐ横でコントラーダの祭りに使うのだろう男用のタイツが干されていた↓
コントラーダとは、シエナを十七に分ける町内会である↓それぞれのシンボルマークがある
↑ここはガチョウ地区。
他にゾウ、サイ、かたつむり、塔、などなんでもありのシンボルマーク。
なかでもこの青虫というのはかわっております↓
もともとは蚕で、絹織物をつくっていた地区だったのだろうとのこと。なるほど。
↓このあたりから見るとシエナの街の地形がよくわかる
↓街で最古のトロメイ家の屋敷は石造りで要塞の様
イスラムの月を制する紋章
さらに丘の底に向かっていく「フランチェジーナ街道」をゆくと↓
交差点に大きなロッジャがある建物↓
いわば商業裁判所
街道はイギリスのカンタベリーとローマ、さらにはエルサレムへの道だったので国際商人が行き来した。
そこで起きるもめごとを調停する場所である。
↓当時シエナはまだ独立国だったので、とりつけられているシエナの守護聖人たちは全員キッと(ライバル都市)フィレンツェの方向をにらんでいる
***今日はこの後シエナ大聖堂をフルコースで見学することにしている。
まずは付属の美術館へ
13世後半に描かれたドゥッチョ・ディ・ボニンセーニャの「マエスタ(荘厳の聖母)」は、小松の絵画の見方を変えさせてくれた作品↓
兄弟弟子のジョットとは異なり、ルネサンス的な卓越した遠近法も解剖学的に正確な描写もないが、
絵画の美しさとは本来そういう技巧ではないのだと認識した。
大聖堂のフルコース、楽しみです(^.^)
シエナは三つの丘からできてる。その間、いちばん底に位置するのがカンポ広場↓
傾斜した貝殻型の広場、そのいちばん低い部分にプブリコ宮殿がある
一方、大聖堂は丘の上
大きさではなく美しさにおいてイタリア指折りである
坂ばかりだから、階段ばかり
教会の近くは滑りやすい大理石なので気をつけて
スーパーでちょこっとお買いもの
お昼のワイナリーで食べすぎたので今晩はこのぐらいでいいかな
**
翌朝、体力も回復して青空の下歩き出す
↓街のすぐ外に築かれた要塞は↓
↓巨大なメディチ家の紋章がはめこまれている。
1555年、シエナは最大のライバル=フィレンツェに敗れた。
フィレンツェは監視のためにこの要塞を建設して兵を駐屯させていた。
↓要塞のわきに、町に向かって手を挙げている女性の像↓彼女は?
彼女はこの町の出身の聖所カタリーナ。
ミイラになった彼女の首が祭壇に置かれているドメニコ教会↓
内部は改装されてひろびろとしている↓
カタリーナは若くしてドメニコ修道士会に入ろうとしたが、「あんたみたいな若くてきれいな人はどこぞへ嫁にいきなさい」として断られた。
それでも未練があったので在家の信者として敬虔な生活をおくっていると、キリストが目の前に現れて彼女と対話した。
↓こちらはキリストではなく聖ドメニコと語るカタリーナの姿↓二人の生きた時代は百年以上ちがうのだから出会ったことなどないのだけれど
カタリーナの家だったところは記念館・教会になっている。
そのすぐ横でコントラーダの祭りに使うのだろう男用のタイツが干されていた↓
コントラーダとは、シエナを十七に分ける町内会である↓それぞれのシンボルマークがある
↑ここはガチョウ地区。
他にゾウ、サイ、かたつむり、塔、などなんでもありのシンボルマーク。
なかでもこの青虫というのはかわっております↓
もともとは蚕で、絹織物をつくっていた地区だったのだろうとのこと。なるほど。
↓このあたりから見るとシエナの街の地形がよくわかる
↓街で最古のトロメイ家の屋敷は石造りで要塞の様
イスラムの月を制する紋章
さらに丘の底に向かっていく「フランチェジーナ街道」をゆくと↓
交差点に大きなロッジャがある建物↓
いわば商業裁判所
街道はイギリスのカンタベリーとローマ、さらにはエルサレムへの道だったので国際商人が行き来した。
そこで起きるもめごとを調停する場所である。
↓当時シエナはまだ独立国だったので、とりつけられているシエナの守護聖人たちは全員キッと(ライバル都市)フィレンツェの方向をにらんでいる
***今日はこの後シエナ大聖堂をフルコースで見学することにしている。
まずは付属の美術館へ
13世後半に描かれたドゥッチョ・ディ・ボニンセーニャの「マエスタ(荘厳の聖母)」は、小松の絵画の見方を変えさせてくれた作品↓
兄弟弟子のジョットとは異なり、ルネサンス的な卓越した遠近法も解剖学的に正確な描写もないが、
絵画の美しさとは本来そういう技巧ではないのだと認識した。
大聖堂のフルコース、楽しみです(^.^)