旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リスボンのベレン地区

2019-05-01 20:00:00 | ポルトガル
今日のリスボンはベレン地区のみの観光。

メーデーだからこのジェロニモス修道院も入れないと思っていたのだが、幸い開いていた。

ステンドグラスにはポルトガル王家の紋章↓


「ここに地果て、海はじまる」の一節で有名な詩人カモンイスの墓

↓向かい側にはヴァスコ・ダ・ガマの墓


ちかくのちょっと遊び心のある手の彫刻


大王海時代らしい世界各地の人々の顏がデザインされている


いちばん奥には王家の墓。
大航海時代にインド航路を得て「幸運王」と呼ばれるマヌエル一世が奥左、その手前が妃のマリア(カトリック両王の娘)

ポルトガルでは王家の棺を支えるのは象である


向かって右手には1578年にアフリカ遠征をしてモロッコで行方不明となったセバスチャン王の空の墓↓

先の幸運王マヌエル一世の曾孫にあたる人物だが、兄弟たちがどんどん亡くなってやっと生まれた「待望王」と呼ばれた。
なのに、後嗣も残さぬうちに行方不明となって…ポルトガル王家は断絶!
1580にスペインのフェリペ二世に併合されてしまった。

★キリスト騎士団はポルトガル発祥↓その紋章がこれ

フランス王によって壊滅させられてしまったテンプル騎士団の跡を継ぐものとしてポルトガル王が擁護していたとされる
***

ベレン地区へ来たら食べておきたいお菓子を↓
この老舗、四百席もあるそうだがいつもいっぱい↓

今日は十五分ほどで買えました

さっそく

シナモンをかけていただきます

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ベレンの塔はもともと川の中にあったとされるが

1755年の地震で陸からの続きになってしまったとされている

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発見のモニュメント。先頭をゆくのはエンリケ航海王子

↑二番目に兄のドゥテルテ王、バスコ・ダ・ガマ、ブラジルの発見者カブラル、世界一周したマゼランと続く
↓いちばん後ろにフランシスコ・ザビエル

↓逆の面、最後尾に女性がお一人
エンリケ航海王子の母でイギリスから輿入れしたフィリッパ・ド・ランカスター↓

未知の世界に旅立つ息子たちを激賞した孟母だったとされる
↓このモニュメントの足元にひろがる世界地図のモザイク↓

南アフリカから寄贈されたものでたいへんりっぱ↓なのだが…

↓日本に到達した年号がちっと間違っている↓

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ホテルにチェックインしてから今晩はファドレストランへ

民族舞踊なども交えて短いステージが続いてゆくすたいる。
後になるほどうまい人が出るのです




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バタリャ、オビドスを経由

2019-05-01 14:29:55 | ポルトガル
バタリャの修道院は突然姿をあらわす

「バタリャ」とは「戦争」という意味。
1385年、ポルトガルの王位を主張するカスタリアの王ファン一世との戦いに勝利したことを記念して建設された。

↑騎馬像はポルトガル側の将軍ヌノ・アルヴァレス・ペレイラ
これに勝って王位を確立したジョアン一世は、ポルトガル史でもっとも有名なエンリケ航海王子の父である。

ぱっと見ゴシックな建物だが細部を見るとロマネスク的な彫刻も多数みられる

↓教会は完成していない↓この部分は巨大な柱だけあるが屋根に至っていない。


現代の戦争記念碑もある

お土産物屋で、庭に水を撒くためのおもしろい「ひまわり」を売っていたので購入されました(^.^)


今日はメーデーで中には入れない。オビドスへ向かう↓
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オビドスは城壁で囲まれた中世らしい小都市↓

観光客に大人気

昼食予約の時間よりだいぶ早く着いたので、16世紀に建設された水道橋に沿って歩いてみよう↓

約一キロで山につきあたり、さらに先に続いていた。
ローマの建設したものにくらべるといかにも簡素↓



昼食はイワシの焼いたのを


街を一時間ほど散策。



いちばん突き当りにある城は現在ポサーダ(国営ホテル)となっているが、今日はチョコレートフェスティバルの開場だった↓

↑入場券を買う人の行列

こういう街は猫の天国ですよね





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