旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ローテンブルグをさっと

2019-05-23 12:00:38 | ドイツ
今日はローテンブルグも二時間程度の時間でさっとご案内しなくてはならない。
↓北の城壁近くの店でランチの後

マルクト広場からブルグ公園へ向かう。
↓途中に天皇陛下がお泊りになったというホテル「アイゼンフート」↓なるほど鉄の帽子だ

13世紀にユダヤ人の集会場があった「白い塔」の前庭↓ヘブライ文字の墓碑が壁に埋められている

ローテンブルグに限らず、中世のユダヤ人は20世紀の迫害以上にきびしい時代を生きてきた↓
ヒトラーはそれを利用したのだ
↓ブルグ公園の記念碑は1998年に置かれた↓
※これについてこちらに書きました


この記念碑のあるブルグ公園への入口門↓
↓城の側から

↓街の側から

ふたたびヘーレンガッセ(「旦那衆通り」)を歩いていると、こんな解説が立てられていた↓

現ローマ法王フランシスコ一世は1986年8月2日から10月2日までドイツ語習得の為にフランシスコ教会に滞在していたのだそうな。

↓ほんの十五分でも、小松がローテンブルグでいちばん見ていただきたい「聖血祭壇」へご案内しよう

それは★ヤーコプ教会にある
かつてローテンブルグは、この「キリスト血」に出会うべく多くの巡礼がやってきた↓

↑祭壇は1506年ごろまでに四十代のリーメンシュナイダーが彫り、聖なる血は水晶の球に納められた
「最後の晩餐」を描いているのだが、中央にユダが配置されている↓

↑左に立つキリストの手がユダの口元にパンをもっていく
裏切り者が誰なのかがあきらかになるシーン。
かつてこの彫刻を見上げた巡礼たちは、はっと気づかされたのではないだろうか。
「この場面で一番苦しんでいるのはユダに違いない」
最も弱く苦しむ者こそが救われるべき存在の筈だ。
ほとんどの人はキリストのようにも聖者のようにも生きられはしない。
むしろ自分はユダのような弱き心しか持ちえない。

こんな構図の祭壇を発案したリーメンシュナイダーは、自画像をこの群像の中に入れている↓
↓こちらを向いているヤーコブこそがそれ↓この方向から見ると目が合う

この祭壇にOKを出した当時の教会責任者もなかなかの人物ですな(^.^)

下の階にある主祭壇↓

ここに描かれた巡礼を助ける奇跡の話の一角に、1400年代中ごろのマルクト広場が描かれている↓

↑左の市庁舎をよく見ると、現在のものと建物の半分が違っているのが分かる↑
↓これが現在の市庁舎

右半分が1501年の火事で焼けてしまい、ルネサンススタイルで建てなおされた。
左半分は13世紀のオリジナル、ゴシック建築のままなのであります。

16:30バスの駐車場からノイシュバンシュタイン城近くの村へ向かう。
到着は午後八時ぐらいになるかしらん。
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ハイデルベルグを二時間でさっと

2019-05-23 09:00:00 | ドイツ
ハイデルベルグ城は廃墟だが美しい

↑17世紀はじめ、宗教戦争勃発前夜に建設された円形の舞踏広間は今も窓枠だけをとどめている。
今日は内部まで見学する時間はないができるだけ。
↓これはかつての学生寮

↓18世紀に城を修復したカール・テオドールのイニシャルが門番小屋に残されている↓

↓ケーブルカーを参加のみなさんにご負担いただいてケーブルカーで旧市街へ降りる


ネッカー川にはアルテ・ブリュッケ(古い橋)↓

↑門はかつて監獄にも使われていた

立っている石像はカール・テオドールその人

↑足元に領内を流れる四つの川を表す神々の像をしたがえている。
↓足の下の橋にはかつて洪水が起きた時の水位が記されている↓

橋から見上げたハイデルベルグ城↓

橋から騎士の家↓の前へ

途中に「学生のキッス」というハイデルベルグのチョコレート屋さんがある↓

ハイデルベルグ大学がはじめて女学生を受け入れた時、男女の間は衝立でしきられていたのだそうな。
それでも、男女が席を同じくすれば起きることは起きる。


老舗の免税店でトイレを借りる。
観光用の免税店と侮るなかれ。ドイツのいろんな商品をよく選んで置いてある。
こんな物までみつけてくるとは↓

広いデパートであたふた走り回ってあげくに中国製の品を買ってしまうよりもずっと効率的な買い物が出来るとおもう。

ネッカー川沿いの駐車場へ向かう





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