旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

フィレンツェのピッティ宮殿近くの部屋に到着

2019-05-15 19:00:00 | イタリア
フィレンツェ郊外の裁判所が見えた↓

↑この新しいエリア、大学なども入っていて活気がある

↓旧城門のひとつ

↓今回は川向うのピッティ宮殿目の前に宿をとった

↑ほんとに目の前がメディチ家の宮殿
↓向かいに我々の部屋への入口。通常のホテルではないのでちょっとわかりにくい。

14世紀の天文学者トスカネッリが住んでいた建物も並びにある
↓扉を入ると階段で四階まで登る…幸い奥にちいさなリフトもあった↓

↓が、このリフトがなかなかの曲者。シマシマの中にきっちり立たないと扉が閉まらない↓

小柄な日本人でも二人定員。それも身体ぴったりくっつけて乗って(^.^)

最上階=四階で降り、もう一つの扉をカギで開けて奥へ。ちょっとした広間がある↓

ここを中心にして八室ほどがある

旧市街のど真ん中だから窓からはこんな景色が楽しめる

街のどこに滞在するかはその地の印象を決める

少し休憩して夕食へ。五月は陽が長い。







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ルッカ訪問

2019-05-15 14:49:31 | イタリア
フィレンツェとピサの間にある古都ルッカがあまり注目されないのを残念におもっている。
↓平安時代からのファサードの見事な色石モザイクと、重そうな羽を背負った大天使ミカエル↓

↑左右の最後の審判のラッパを吹く天使もよいですねぇ↑
これは↓古代ローマのフォロの上に建てられた聖ミカエル教会の上部にとりつけられている↓

**
ピサを出て三十分ほどで平らなルッカの街が見えてきた↓大聖堂の塔は上部が石、下部が煉瓦

バスは城壁外に止めて歩いて入るのだが、今回は城壁内部のナポレオン広場でガイドさんと待ち合わせ↓

↑この宮殿はナポレオンの妹が嫁して住んだ。
広場もその時につくられたものでフランスから持っこさせた木々を植えたのだそうな

↓こちらがさっき塔の先端だけ見えていた大聖堂

ロマネスクのロッジャに↓

↓ちみつな彫刻がほどこされている↓

↓ここは聖マルティヌスに捧げられた教会
↓自分のマントを切って与えるマルティヌスの像

中世の教会のよく描かれていたラビリントス(迷路)↓

↑右側に刻まれたラテン語
クレタ島のダイダロス王によってつくられた迷路だと書かれているのだそうな。
ギリシャ神話由来のものだとちゃんと理解していたのか。

内部↓


ロマネスクの身廊に1484年につくられた小さなチャペル↓

その柵の中に見えるのは↓

ここで人々の巡礼対象となってきたのは「最古のキリスト磔刑像」
聖書の中でユダヤの高官でキリストに心酔したニコデモが刻んだと伝承されている。
それがなぜかイタリアの海岸に流れ着き、曲折の末にルッカにあるのです。

15世紀に亡くなったイラリア・デル・カレットの墓碑は、シエナのヤコポ・デル・クエルチャの出世作↓

ルッカの施政者パオロ・グイニージが1406年に依頼した↓
↓若くして没したイラリアの姿が眠るがごとく刻まれている↓

↓足元から見上げる彼女の愛犬も

★日本で殉教したルッカ出身の司祭がステンドグラスに描かれているのをおしえてもらった↓
日本の着物姿の女性もいっしょに描かれている。

「福者(ベアート)アンジェルス」と足元に名前
後日の調べで、元和の大殉教で亡くなった人物のようだと理解した。

***
教会だけでなく街そのものが見所
中世の商店の入口がそのまま現代に継がれているよう

↓このアンフィテアトロ広場は

その名のとおりローマ時代の円形劇場の場所につくられた↓

↑昔からこんな風に残されたのだと思っていたが、19世紀にはこの広場にもごちゃごちゃ家が建っていたのを強制排除したのだそうな。
そんな力技、今ではできますまい。
****
サン・フレディアーノ教会のファサード↓

↓13世紀の色鮮やかなモザイク画


路地をさまよって、再びミカエル教会の後陣のところへ出た↓美しいロマネスク形状がそのまま


一度宿泊してもっとじっくり歩いてみたいルッカであります(^.^)
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ピサの斜塔に登る

2019-05-15 11:00:00 | イタリア
シエナを出て二時間ちょっとでピサに到着した。バスでの移動よりずっと早い。

十人以下の車だからピサの斜塔のすぐ近くで降ろしてもらうことができる。
門をくぐればすぐに↓この景色

「ピサの斜塔に登れますか?」
という質問がよくあるけれど、通常のツアーではなかなか難しい。
★時間予約が必要で(ネットで二十日前から一日前まで)
★人数制限(十五分毎に二十人?だったかな)があり
★手荷物を預ける(大きさにけっこうきびしかった)に時間がかかる

今日、余り券があって、我々にその時間まで滞在できる余裕があれば訪問できる。
チケット売り場へ直行すると、
「12:15がありますよ、七人?」
全員のチケットがとれた!(^.^)※18ユーロは高いとおもうけれど

入場時間まで一時間ほどある。
先に他の場所も見ていただこう。
「奇跡の広場」は、大聖堂、洗礼堂、それに巨大なフレスコ画で飾られた墓地(「カンポ・サント」と呼ばれる)も見ておきたい。
●カンポ・サント墓地
聖地エルサレムからもってきた土をまいたからこの名前で呼ばれるようになった

死にまつわるフレスコ画が有名↓死者の口から赤ん坊の姿をした魂が抜けて、それを悪魔や天使が捕まえている↓

「三人の若者と三人の死者」という中世によく描かれた主題の絵

若者たちが墓地を通りかかると三人の死者が語りかけた
「我々もかつてはあなたたちのようだった。あなたたたちもやがて我々のようになるだろう。」↓死臭に鼻を覆う


↓かつてピサの港を封鎖していた巨大な鎖も展示されている↓

**
ピサ大聖堂もさっとご案内

↑正面に1302年ごろにチマブーエが製作したとされるビザンチン風のモザイク画
↓通称「ガリレオのランプ」

実際にはガリレオの時代よりも後にここに吊り下げられたもの
↓説教壇の緻密な彫刻はピサーノ(息子)の作

***
★ピサの斜塔入場
入ってすぐに中から上を見上げる↓

基部に埋葬されたとされる最初の設計者ボナンノ・ピサーノの墓碑?↓
裏文字で書かれている↓

高さ約五十メートル、頂上まで261段。

平安時代に建設がはじまり、建設中から傾き始めた。その時代から踏み続けられてきた階段↓

身体が自然と壁に吸い寄せられていく不思議な感覚。
となりの大聖堂をこの位置から見ることができる↓

↓現在、鐘が吊られた高さまでのぼることができる↓

※以前、一つ上の旗のところまで登れた時2011年のブログもごらんください

洗礼堂の「エコー」も聴いて
★こちらのyoutubeに載せました。画像はよくないですが音は楽しんでいただけます。

ピサを出発して隣町ルッカに向かいます。

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