旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ミラノへ到着

2011-10-18 10:59:07 | イタリア
アリタリア航空AZ787便にてミラノへ到着。イタリアへの直行便がアリタリア航空しかなくなってしまってから、これらの便は日本からのグループで混みあう。今回もざっと8グループぐらいは乗っていただろうか。この写真は到着時の荷物受け取りターンテーブル。ポーターがあるツアーではこんなふうに大きな荷物積みトレイに積み上げる。

この便で到着したほとんど全部のグループが、明日午前中にミラノの市内観光をすることになる。スカラ座横でバスを降りて、ヴィットリオ・エマニュエル二世ガラリアを歩いて大聖堂へ入る。スフォルチェスコ城を通り抜け(入場料を払わなくてよかった時代にはみんな内部にある博物館へも入っていたのに、有料になったらとたんに入るグループは少なくなった。ミケランジェロ最後の作品となった「ロンダニーニのピエタ」は必見なのに…)
さらに、レオナルドさんの「最後の晩餐」の予約があるグループもあるだろう。

こういう「定番」というのは、はじめからあったわけではない。誰かが「ま、はじめてのミラノならこんなところでしょ」ということではじめたものが、いつしか「ミラノにきたらこんなふうにまわるべし」という型になってしまったのだ。

大聖堂は見るべき場所であるにしても、そのほかは「定番」に成り得ただろう場所が、ミラノにだってけっこうある。
たとえば、アンブロジアーナ図書館。ラファエロの「アテナイの学堂」の実物大下絵はヴァチカンの実物以上にラファエロの技量を理解させてくれる。カラヴァッジョ唯一の静物画「果物籠」は静謐さの中に残酷な時間の流れと緊張感がある。ここでは「アトランティック・コード」と呼ばれる、レオナルド・ダ・ヴィンチが遺した多くの遺稿の一部を直接見ることも出来る(これら素描はいつも同じものが展示されているわけではなく、展示が無い時もあるので注意)。

アンブロジアーナ図書館なら、現在の「定番」に換えることが出来る内容があると思うけれど、一度定まってしまった現在の「定番」はそう簡単に換えられない。あ、それから入場料がかかるところはたいてい却下されていく。きびしい現実です。
**

我々実際に現場に同行する者の存在意義は、こうした「定番」から少しでも抜け出して、その旅独自のカラーをだしていくことにある。ガイドしてくれる方に歩くルートや説明する内容を少し工夫してもらうだけでも、だいぶんその町のイメージはちがったものになる。三十分だけの自由時間であっても、その気になれば提供できるものは、ある。

「定番」に甘んじることなく、今回もいろいろ工夫していきたいとおもいます。
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THRILLER LIVE~マイケル・ジャクソンに捧げるSHOW

2011-10-09 23:17:31 | イギリス
帰国便BA005便へ搭乗の日。
**昨夜ロンドン、ライリック・シアターにてTHRILLER LIVE マイケル・ジャクソンへ捧げるLIVE SHOWミュージカルを見た。


土曜日なので16時と20時の二回公演。午前中ロンドン市内観光。大英博物館を見学した後13時少し前にピカデリーサーカスの三越へ到着。JAPAN CENTERで寿司のパックをささっと食べる。バスでウエストミンスターへ行き外観のみ見学。地下鉄でセント・ポール大聖堂へ行き、そこからタクシーでシャフツベリー・アヴェニューのライリックシアターへすべりこんだ。

早い回へぎりぎりでチケットを買って入る。ストール席の真ん中あたりがとれた、料金は60ポンド弱、いちばん高い席である。このショーも三年目になって、マチネなら当日でも良い席が手に入るようになってきたという事なのだろう。会場がとても狭いのが良い。このシアターは全部で924席なのだそうだが、古い馬蹄形の場所にぎゅっと音楽が詰まった感じがする。

★誰もが興味を持つのは、どんな人がマイケルをやるのか?という事。 これは、四人の個性の違うダンサー・シンガーがその位置に代わる代わる立った。一見して完全な黒人はひとりだけ。ひとりはティナ・ターナーを思い出させるソバージュヘアの女性。さらに小柄なヒスパニックが入っているかと見える男性。そして歌にもダンスにもいちばん切れがあったのはディカプリオに似た白人男性だった。彼は体型も素晴らしく似ていて出てくると場を惹きつける力があった。後半になると観客の歓声も彼に対してひときわ大きくなった程。 

ステージは二部構成。最初の一時間ではジャクソン・ファイブからジャクソンズ、そしてオフ・ザ・ウォールでクインシー・ジョーンズに出会うまでを扱う。だいたい予想される内容だが、子供時代のマイケルの役の子は、音程以外はよく似た雰囲気をだしていた。
一部の最後のほうで、観客を巻き込んでのパフォーマンスとなる。
ロンドンの観客はみんな立ち上がって声を出すし、周りを気にしないで個々に反応して楽しんでいる。中に居て見ていると、日本でやっても絶対観客はこんな風にはならないと感じる。このマイケルのショーは日本で上演してもある程度成功すると思うけれど、観客は日本人なのだから、ロンドンと同じ内容でも同じ反応にはならないのである。

十五分ほどの休憩の後はじまった後半のショーはいよいよ誰もが知っているスーパースターの時代となる。マイケル役だけでなく、出演しているすべてのメンバーが「マイケル大好き」なのが伝わってくる。映画「THIS IS IT」で、出演者が皆マイケルを心から尊敬していたのと同じ雰囲気が感じられる。

曲順などはあえて載せないけれど、80年代90年代に音楽を聞いていた人なら必ず楽しめる。
それはビート感のある曲よりも、特にHEAL THE WORLDのようなメッセージがはっきりある曲に顕著だ。 手を上げて左右にゆらしながら一緒に歌う年代もさまざまな観客。みんなの気持ちが暖かくまとまってゆく。私もこの曲一曲が気に入ってCD「DANGEROUS」を買ったっけ。

次々に演奏される(すべて生バンドです)ヒット曲にのせられているうちに一時間以上。最後にお約束のTHRILLERが登場(それだけでは終わらないけれど伏せときます)。全部で二時間半に及ぶ充実したSHOW TIMEであった。

これだけのパフォーマンスのすべての中心にいたのがマイケル・ジャクソンであり、彼が突然居なくなってしまったという事実にちょっとした喪失感を感じる。いろいろな批判はあったのだろうが、マイケルの音楽はどうかんがえてもカッコよい。

曲をもう一度聴きなおしてから、もう一度見たいなぁ。次にロンドンへ来るまでロングランしていると良いのだけれど。
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ホクソンの宝

2011-10-08 22:41:11 | イギリス
ロンドン半日観光、13時にピカデリー・サーカス近くのミツコシにて解散。午後自由行動。
**
午前中の観光に大英博物館が入っていた。いつものエジプトセクションの他に「どこか皆さんにお見せしたいところがありますか?」とガイドさんに訊かれたので、「イギリスの古代ローマ関係のもの」をお願いした。今回の行程ではハドリアヌスの城壁やバースのローマ風呂博物館で古代ローマに触れているので、関連があるものを見ていただきたいと思ったのである。

これまでも大英博物館所蔵のいろいろな古代ローマ関係のものを解説していただいてきた。が、今回さらにまたおもしろい逸品を紹介していただいた。それは「ホクソンの宝」。
1992年11月、サフォーク州の農夫が農機具を失くしたので、知り合いの庭師で金属探し屋に探索を頼んだ。金属探知機を使って見つかったのは、農機具ではなく銀のスプーンで、同じところに同様のものがまだまだぎっしり埋まっているのが分かった。

この引退した庭師エリックさんが偉かったのは、それを掘り返すことをせずに、そのままの状態で警察へ連絡した事。
金銀のスプーンや大量のコイン、装飾具など、合計1万5千点以上の品々は、樫の木の箱に詰められていたのだが、長い年月で木はすべて朽ち果てていた。もし、エリックさんが昔の宝探しよろしく全部ほじくり返していたりしたら、現在みられるような復元は出来なかっただろう。 箱が朽ちてしまっていても、出土の具合から現在この写真のように上下にどのように収納されていたのかを正確に再現する事が出来たのである。

では、この箱に金銀財宝を詰めていったのは誰か?何の為か?
年代は紀元後407年ごろと推察される。つまり、ローマ帝国がこの地から撤退していった時期にあたる。逃れていくローマのエリートが強盗に襲われた?埋めて隠した?何らかの理由でこれを残すことになった違いない。
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ローマ兵士のカップ

2011-10-07 15:24:16 | イギリス

コッツウォールズのホテルからバース、ウィンザー城を見学してロンドンへ入る一日。

**チェルトナムのホテルを出て一時間、バースの街へ到着。この街はいつももう少しゆっくり見学したいと思う。そして、ローマ浴場の博物館は、いつ来ても何度来ても新たな発見がある。

この写真の風景はローマ浴場博物館に入場してすぐに入る場所。印象的なローマ時代の浴槽が下に見えるが、今目にしている風景は19世紀に意図的につくりだされた事をあらためて認識した。この後姿のハドリアヌスの像も古代の像ではなく、19世紀の彫刻家の作である。

古代には下の様なかたちのドームになっていた。高さはなんと20メートルにも達したそうである。

発掘品で今回注目したのは、ローマ兵士がスリス・ミネルヴァの女神に捧げるために湯に投げ込んだのではないかと言われる銅製のカップ。兵士が行軍する時には常に携帯して水を飲んだり、配給をうけとったりするのに使っていたとされる。横の面にハドリアヌスが築いた城壁の絵柄が刻まれているのが興味深い。※これについてはこちらにもう少し書きましたのでご覧下さい。 ***昼食はローストビーフとヨークシャプディング。ホワイトラディッシュ(西洋辛子)とマスタードをつけるとぐっと味が良くなります。

二時間半ほどバスで走ってウィンザーに到着。写真手前左はヘンリー八世などの眠るセント・ジョージ礼拝堂。右遠方に見える丸い塔は西暦11世紀にウィリアム征服王が築いたとされるラウンド・タワー。

六時少し過ぎて、週末で混みあうロンドン中心部へ到着。中華街の夕食のあと、二十分だけ時間ができたので、トラファルガー広場へ寄り道。ナショナル・ギャラリーがライトアップしております。

 

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シェークスピア・センター

2011-10-06 15:51:09 | イギリス
湖水地方ウィンダメア湖畔のホテルを出て、お昼にストラトフォードへ。昼食後、この写真のシェークスピアの家を見学、さらに奥さんの実家であるアン・ハザウェイの家も。コッツウォールズにてボートン・オン・ザ・ウォーターとバイブリーを見学してからチェルトナム郊外の高速から近いホテル泊。

**ストラトフォードはシェークスピアの故郷という事で世界中から人々がやってくる。シェークスピアは生きているときから現代にいたるまで英語民族にとってはヒーローだから、その生家も著名な作家などが詣でてガラス窓にサインを残していたりする。実際にオリジナルなのはそのガラス窓ぐらいであると分かっていても、やはり人々は「ここがそうかぁ」と思うわけだ。
かつては当然両サイドにも家があり、道の真ん中にぽつんと独立していたわけがないのだけれど。

このすぐ左となりにシェークスピア・センターがあり、そこで彼の作品にまつわるいろいろな資料を保管してある。ここを通って生家にも入場するのだが、久しぶりにいってみて、見せ方にも一工夫くわわっていておもしろかった。

入場券を求めると「最初にフィルムがあるけど見ていく?」と訊かれた。十五分ほどのものだそうで、忙しいツアーの中でどうしようかと思ったが、「おもしろいわよ」と、受付の方がさらっと言ったので皆さんにも見ていただくことにした。

ディズニーランドのように小さな部屋を三つ移動しながらフィルムが流れる。いろいろなシェークスピア映画の中からセリフが面白いシーンを見せてくれている。なにせ言葉こそが見せ場なので、演じる俳優たちも技量がしっかりある方ばかり。
中でもジュディ・ディンチ(「恋に落ちたシェークスピア」でエリザベス一世女王役をしていた彼女)が、若いころからたくさんシェークスピア劇に出演していた。彼女を磨いたひとつはシェークスピアだったのかぁ~。

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