旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

湖水地方の一日

2011-10-05 13:12:42 | イギリス

夜中雨風の音が聞こえていた。まだ雲は残るけれど明けて少し穏やか。朝食を食べてから湖に面したオールドイングランドホテルの庭へ出て振り返る。

10時にホテルを歩いて出発し、すぐ近くのボウネス桟橋から10時半発のウィンダメア湖のクルーズ船に乗る。雨はあがっている。思ったほど寒くはない。

ウィンダメア湖は南北に18kmと少し、幅は1km半ぐしかない。四十分ほどで南端のレイクサイドに到着し百四十年前に敷設されたSLに乗る。こちらもものの二十分ほどの乗車だが雰囲気がある。この写真は終点のハーバースェード駅。

バスに乗ってウィンダメア湖の西にあるホークスヘッド村へ。ここは「ピーター・ラビット」の作者ベアトリクス・ポターの原画を展示したギャラリーがある。彼女が住んだヒルトップへの拠点ともなる村なので、多くの観光客がお訪れる。我々も12時半に村のクイーンズ・ヘッド・ホテルにて昼食。その後村を散策。こんな古い家々が今でも現役。

丘の上に教会のそびえるこの村には、16世紀に創立されたグラマー・スクールがある。詩人ウィリアム・ワーズワースも学んだ学校だ。入場料一ポンドかかるせいか、ツアーには全く入らないが、一度入場してみたらけっこう面白い話がきけたので、それ以降小松は時間が少しある時によく紹介しております。少し雨模様の今日の様な日に適した訪問場所といえましょう。

いつものガイドさんが居て、いつもの話をしてくれた後、二階の展示物をひとりでじっくり見ていたら、この学校の創立者エドウィン・サンディス(1519~1588)の生涯が興味深かった。※こちらに別途書きましたhttp://www.tour.ne.jp/blog/komatsusin/32514/

15時半にベアトリクス・ポターの家ヒルトップへ入場。今も当時の雰囲気をよく保存している。

すっかり雨になったウィンダメアの町のホテルにてティータイム。

スコーンにサンドイッチにケーキがたっぷり。これだけ食べればもう夕食は要りませぬ。こんな日には湖畔のクラシックなホテルのロビーでゆっくりした時間を過ごすのが良い。観光シーズンも終わりに近づき、街はひっそりとしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカ人捕虜の刻んだ国旗

2011-10-04 13:48:36 | イギリス

午前中エジンバラ観光、午後ハドリアヌスの城壁を少しだけ見学し、19時過ぎに湖水地方ウィンダメ湖畔のホテルへチェックイン。

**エジンバラ城には1757年から1814年まで戦争捕虜を収容した場所があるという事をはじめて知った。その木製の扉には収監されていた捕虜が残したいろいろな言葉や絵がある。その中にこんな星条旗を刻んだものが見つかった。明らかに船が星条旗を掲げている。

何ゆえ、ここにアメリカ人捕虜が?18世紀の後半というのは、そう、アメリカの独立戦争の時期になる。学校では「1776年にアメリカ独立宣言」というところしか教えられないが、実際の独立に至るまでの戦争は実はここからはじまったと言ってよい。

アメリカの独立を支援するフランス軍(イギリス領西インド諸島を狙う)、スペイン軍(イギリス領ジブラルタルの奪還を狙う)からの捕虜も多数収監されていたが、おもしろいのはそれぞれに待遇が違ったということ。

戦争捕虜は通常の犯罪者とは違うので、収容所(英語ではPRISONだが「監獄」とは待遇が全くちがう)内では一定の権利が認められていた。つまり、衣服と一日に六ペンスの金が支給され、本国からの援助を受けることもできる。フランス人は六ペンス+本国からの追加一ペンスをうけとっていたのだそうだ。入手できる材料をつかって物を作り売ることもできる(なんと、偽札までつくっていた人がいたそうな)。

アメリカ人捕虜はしかし、そのなかでも「反抗的」ということで待遇を悪くされていたのだそうだ。まだ、「アメリカ」という国が本当に続いていく事ができるのか、分からない時期だったのだから、彼らは「反逆者」だという見方のほうが多かったにちがいない。「反逆者」はフランスやスペインという大国の捕虜とは待遇がちがって当然ということなのだろう。

****

カールトン・ヒルから見たエジンバラ。左遠方からエジンバラ城、バルモラルホテルの時計塔、18世紀の道徳家スチュワート氏の記念塔。

昼食はスコットランド名物「ハギス」(写真右)。これは内臓料理だがスパイスを効かせてあるので気にならない。このぐらいの少量なら日本人にも「おいしいね」と言ってもらえる。

エジンバラから二時間ほどで国境のグレトナ。そこからイングランド領カーライル近くに、ローマ五賢帝のひとりハドリアヌスが築かせた城壁がある。周囲には羊用の石の塀がたくさんあるので、なんだか紛らわしいけれど、よく見ると石の積み方は全く違う。紀元後二世紀には高さ六メートルもあったそうである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロンドン経由エジンバラ到着

2011-10-03 13:37:02 | イギリス

イギリス8日初日、BA006便にて成田発ロンドン乗継19:45エジンバラ到着 ヒースロー到着時は気温27度だったが、夕暮れるエジンバラについたら20度を切っていた。気持ちよく涼しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする