久賀島(ひさかじま)の浜脇教会が見えてきた。

この場所に「旧五輪教会」があったのか。

少し西の田ノ浦港で海上タクシーを降り、久賀島のタクシーで教会前まで数分で到着。

11月半ばのすっきりした青空。最近塗りなおされた壁がまぶしい。
※2018年に修復していた時のブログをこちらからお読みください。久賀島のU字型の記事にもとぶことができます。
今回もガイドをお願いした平山さんは子供のころにここでミサをきいていた。
現在のような椅子席はなく、板床だけだった。
子供たちは後ろの方で「早くミサおわらないかなぁ」とじりじりしていたそうだ。
※2017年に訪問した時にもう少し詳しく書いたものをこちらからご覧いただけます
向かって左手の奥に家が見える。
以前の木造教会がその場所にあった。
この教会が建てられることになって、解体される代わりに五輪地区の住民に乞われて移築されたのである。
そこが最後に訪れる「旧五輪教会」になる。
*
タクシーはU字型をした島の入り江部分に向かう。
※地図は前出の2017年のブログに載せました
久賀島は五島列島では珍しい豊かな農地のある島。
U字型の入り江があることがその要因だ。
豊かな平地には昔からの仏教徒が住んでおり、移民してきたキリスト教徒は外海に面した厳しい土地に住まざるを得なかった。浜脇、五輪、楠原という集落をつくったのである。
内海に面したいちばん良い場所にあった代官所が、今はビジターセンターになっている。

ランチはここで、マルゲリータさんでつくってもらったサンドイッチのランチにしよう。

ふと天井を見上げると

不自然な穴があけられている。
ここから、今は「牢屋の窄殉教記念教会」のある場所を見張っていたのだろうと推察されている。
※前出の2017年訪問記リンクに書きました

ゆったり庭を見渡せる縁側に変わった椅子が置かれていた。

「ぜひ座ってみてください」と平山さん
実際座ってみると、見かけと全然違って(失礼)すわり心地が良いのです。

このビジターセンターで売られている「椿だま」というお菓子。
平山さんたちがかかわってつくっているのだそうだ。

入り江は昭和になってから埋め立てがすすんだ。
五島列島の中では例外的に稲作が盛んな島だった。

「牢屋の窄殉教記念教会」の道にタクシーを止めて階段を上がる。

立派な教会があるわけではないが、こういった場所でしっかりお話を聞く時間をとったほうがよい。
教会をたくさんめぐるよりもずっと五島列島への理解が深まると思うのです。

↑水が循環している池は伊勢海老を養殖しているのだそうだ。


五輪地区は車で行くことができない。

ちょっとした山道を五百メートル歩く。

入り江の向こうに五輪地区が見えてきた。

今は二世帯だけが住む。

↑これが新しい五輪教会

↑こちらが世界遺産指定された「旧五輪教会」
前回2018年まではすぐ前にあった巨木が切り株になっている。
昨年の台風19号で倒れてしまったのだそうだ。
幸い教会とは逆に倒れたが、民家の雨どいが壊れたそうな。

大浦天主堂をモデルにしたという内部

床の木材もオリジナル

中央部分だけデザインを変えてあり、行事の時の目印になっていたのだそうだ。

後陣部分を外から見ると、和大工さんの作品ながら洋風建築に見せているのだがわかる。
***

五輪地区から会場タクシーに乗り、福江に向かう。
途中でやはり切支丹が隠れていた海岸の岩場に寄った。

福江島の港にある江戸末期の台場。

チェックインしたカンパーナホテルからの眺め。

夜は永冶さんご夫妻もいっしょに街中の寿司屋へ

新鮮なきびなごがおいしい!

この場所に「旧五輪教会」があったのか。

少し西の田ノ浦港で海上タクシーを降り、久賀島のタクシーで教会前まで数分で到着。

11月半ばのすっきりした青空。最近塗りなおされた壁がまぶしい。
※2018年に修復していた時のブログをこちらからお読みください。久賀島のU字型の記事にもとぶことができます。
今回もガイドをお願いした平山さんは子供のころにここでミサをきいていた。
現在のような椅子席はなく、板床だけだった。
子供たちは後ろの方で「早くミサおわらないかなぁ」とじりじりしていたそうだ。
※2017年に訪問した時にもう少し詳しく書いたものをこちらからご覧いただけます
向かって左手の奥に家が見える。
以前の木造教会がその場所にあった。
この教会が建てられることになって、解体される代わりに五輪地区の住民に乞われて移築されたのである。
そこが最後に訪れる「旧五輪教会」になる。
*
タクシーはU字型をした島の入り江部分に向かう。
※地図は前出の2017年のブログに載せました
久賀島は五島列島では珍しい豊かな農地のある島。
U字型の入り江があることがその要因だ。
豊かな平地には昔からの仏教徒が住んでおり、移民してきたキリスト教徒は外海に面した厳しい土地に住まざるを得なかった。浜脇、五輪、楠原という集落をつくったのである。
内海に面したいちばん良い場所にあった代官所が、今はビジターセンターになっている。

ランチはここで、マルゲリータさんでつくってもらったサンドイッチのランチにしよう。

ふと天井を見上げると

不自然な穴があけられている。
ここから、今は「牢屋の窄殉教記念教会」のある場所を見張っていたのだろうと推察されている。
※前出の2017年訪問記リンクに書きました

ゆったり庭を見渡せる縁側に変わった椅子が置かれていた。

「ぜひ座ってみてください」と平山さん
実際座ってみると、見かけと全然違って(失礼)すわり心地が良いのです。

このビジターセンターで売られている「椿だま」というお菓子。
平山さんたちがかかわってつくっているのだそうだ。

入り江は昭和になってから埋め立てがすすんだ。
五島列島の中では例外的に稲作が盛んな島だった。

「牢屋の窄殉教記念教会」の道にタクシーを止めて階段を上がる。

立派な教会があるわけではないが、こういった場所でしっかりお話を聞く時間をとったほうがよい。
教会をたくさんめぐるよりもずっと五島列島への理解が深まると思うのです。

↑水が循環している池は伊勢海老を養殖しているのだそうだ。


五輪地区は車で行くことができない。

ちょっとした山道を五百メートル歩く。

入り江の向こうに五輪地区が見えてきた。

今は二世帯だけが住む。

↑これが新しい五輪教会

↑こちらが世界遺産指定された「旧五輪教会」
前回2018年まではすぐ前にあった巨木が切り株になっている。
昨年の台風19号で倒れてしまったのだそうだ。
幸い教会とは逆に倒れたが、民家の雨どいが壊れたそうな。

大浦天主堂をモデルにしたという内部

床の木材もオリジナル

中央部分だけデザインを変えてあり、行事の時の目印になっていたのだそうだ。

後陣部分を外から見ると、和大工さんの作品ながら洋風建築に見せているのだがわかる。
***

五輪地区から会場タクシーに乗り、福江に向かう。
途中でやはり切支丹が隠れていた海岸の岩場に寄った。

福江島の港にある江戸末期の台場。

チェックインしたカンパーナホテルからの眺め。

夜は永冶さんご夫妻もいっしょに街中の寿司屋へ

新鮮なきびなごがおいしい!