旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

久賀島の「牢屋の窄」「旧五輪教会」を訪れてから海上タクシーで福江へ

2020-11-21 08:55:14 | 国内
久賀島(ひさかじま)の浜脇教会が見えてきた。

この場所に「旧五輪教会」があったのか。

少し西の田ノ浦港で海上タクシーを降り、久賀島のタクシーで教会前まで数分で到着。

11月半ばのすっきりした青空。最近塗りなおされた壁がまぶしい。
※2018年に修復していた時のブログをこちらからお読みください。久賀島のU字型の記事にもとぶことができます。
今回もガイドをお願いした平山さんは子供のころにここでミサをきいていた。
現在のような椅子席はなく、板床だけだった。
子供たちは後ろの方で「早くミサおわらないかなぁ」とじりじりしていたそうだ。
※2017年に訪問した時にもう少し詳しく書いたものをこちらからご覧いただけます
向かって左手の奥に家が見える。
以前の木造教会がその場所にあった。
この教会が建てられることになって、解体される代わりに五輪地区の住民に乞われて移築されたのである。
そこが最後に訪れる「旧五輪教会」になる。

タクシーはU字型をした島の入り江部分に向かう。
※地図は前出の2017年のブログに載せました
久賀島は五島列島では珍しい豊かな農地のある島。
U字型の入り江があることがその要因だ。
豊かな平地には昔からの仏教徒が住んでおり、移民してきたキリスト教徒は外海に面した厳しい土地に住まざるを得なかった。浜脇、五輪、楠原という集落をつくったのである。

内海に面したいちばん良い場所にあった代官所が、今はビジターセンターになっている。

ランチはここで、マルゲリータさんでつくってもらったサンドイッチのランチにしよう。

ふと天井を見上げると

不自然な穴があけられている。
ここから、今は「牢屋の窄殉教記念教会」のある場所を見張っていたのだろうと推察されている。
※前出の2017年訪問記リンクに書きました


ゆったり庭を見渡せる縁側に変わった椅子が置かれていた。

「ぜひ座ってみてください」と平山さん
実際座ってみると、見かけと全然違って(失礼)すわり心地が良いのです。

このビジターセンターで売られている「椿だま」というお菓子。
平山さんたちがかかわってつくっているのだそうだ。

入り江は昭和になってから埋め立てがすすんだ。
五島列島の中では例外的に稲作が盛んな島だった。

「牢屋の窄殉教記念教会」の道にタクシーを止めて階段を上がる。

立派な教会があるわけではないが、こういった場所でしっかりお話を聞く時間をとったほうがよい。
教会をたくさんめぐるよりもずっと五島列島への理解が深まると思うのです。

↑水が循環している池は伊勢海老を養殖しているのだそうだ。


五輪地区は車で行くことができない。

ちょっとした山道を五百メートル歩く。

入り江の向こうに五輪地区が見えてきた。

今は二世帯だけが住む。

↑これが新しい五輪教会

↑こちらが世界遺産指定された「旧五輪教会」
前回2018年まではすぐ前にあった巨木が切り株になっている。
昨年の台風19号で倒れてしまったのだそうだ。
幸い教会とは逆に倒れたが、民家の雨どいが壊れたそうな。

大浦天主堂をモデルにしたという内部

床の木材もオリジナル

中央部分だけデザインを変えてあり、行事の時の目印になっていたのだそうだ。

後陣部分を外から見ると、和大工さんの作品ながら洋風建築に見せているのだがわかる。
***

五輪地区から会場タクシーに乗り、福江に向かう。
途中でやはり切支丹が隠れていた海岸の岩場に寄った。

福江島の港にある江戸末期の台場。

チェックインしたカンパーナホテルからの眺め。

夜は永冶さんご夫妻もいっしょに街中の寿司屋へ

新鮮なきびなごがおいしい!
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《手造の旅》五島列島~マルゲリータの朝、頭が島を経由して「郷の首」港から海上タクシーに乗る

2020-11-20 07:47:35 | 国内


刻々と光がうごく

ダイニングの前で焼きたてパンを売る土曜日の朝。島の人たちにも人気だそうな(^.^)

今朝は洋食。

そこに登場するジャムが秀逸

小松は特このマーマレードに、マーマレードに対する認識をあらためさせられたのです。

小学校の給食で「マーマレードはおいしくない」と思い込まされていたのだが、ここのはまったくちがった。
「買って帰りたいのですが」と言っても、防腐剤なしなので売っていない。
ほんとうに美味しいモノは旅をしない。
自分から足をはこぶしかありませぬ。

無料で五島うどんなど多彩なサイドメニューがいただけます(^.^)

九時にホテルを出発
有方のフェリーターミナルでガイドさんと待ち合わせ。

ここは捕鯨の基地だったので本物のミンククジラの骨が吊るされている。

坂本龍馬像もマスクしてます

海援隊でとびまわっていた頃の龍馬

赤い橋を渡って頭が島へ。

上五島の教会でひとつ訪れるとしたらやはりここだろう。

以前は自分たちの車で教会まで行けたが、二年前にはシステムが変わった。
上五島の空港前にてシャトルバスに乗換えてでないと行けないことになってしまった。
予約制で人数制限もきびしい。10時出発の回に予約した。

歴史ある教会で逸話も多い。

建築者の名前から「与助階段」と呼ばれているスタイル。

外壁の石は近くの島から切り出している。これによって建材のコストを十分の一にできたそうだ。

和数字で印がうたれている。

海岸には今も使われているカトリックの墓地。
帰路のバスが10:38発だと言われたけれど、あまりに時間が足らないので三十分後のバスに変更してもらった。
たった三十分の滞在ではただ写真だけ撮らせて終わりになってしまう。
***
海上タクシーから電話
「今日は奈良尾港のあたり風が強いので桐港に来てください」
よく晴れているけれど海はまた違うのですね。

結局さらに北にある郷の首港から乗船。

キリシタン洞窟を目指す

明治初期の大迫害の折、逃げた家族が隠れ住んだ洞窟。

食事をつくる煙をみつかってしまったのだそうだ。

接岸できるほどの海でした。
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《手造の旅》五島列島~小値賀島の「おと家」でチャンポンと歌。マルゲリータへ戻る。

2020-11-19 08:19:51 | 国内
小値賀の港へ入るとこの「あわび館」の建物が目立つ。

干しアワビは遣唐使の時代から小値賀の名産だったとされる。
お土産に買って帰りたい、と思って入ってみると…

かつての栄華を感じさせてくれる貝殻はあったが
「あわびもサザエもありません…」というお返事。
はじめて訪れた時から来るたびに寄ってきたが、今回も残念。
**

お昼ごはんには新小値賀名物になってきたそうな(^.^)「おと家」の

チャンポン
2018年4月の夜に訪れた時には売り切れで残念だったが、今回やっと楽しめた。
※その時のブログをごらんください


今回も遣唐使船についての「四つ船」を歌っていただいた。
長崎・五島の方言で娘を嫁がせる父をうたう「なみだんずっけん」、泣かせてくれます。
**
小値賀の歴史を俯瞰できる資料館を訪れる。

かつてはこのすぐ下まで海だった。

鯨漁で隆盛した小田家の邸宅。
ほんの十五年ほど前までここには最後の代の方がお住まいだったが、すべてを小値賀町にゆだねて長崎のお子さんのところへ移られた。
古墳時代から現代に至るまでの小値賀が詰まった場所である。
※2017年に訪れた時のブログごらんください

小田家代々の木像がある万日堂、台風被害で中は見られないと言われていたが少しだけ覗くことができた。

***
かつて鯨をさばいていた海岸へ出る。

これはアワビを集めていた記念碑。

ふたたび好洋丸で中通島の津和崎港へ戻る。

予定時間よりだいぶ早く着いてしまい港をぶらぶらしていると、バイクに乗った集落の方が声をかけてくれた。
「家からみておったらず~っとおられるけぇ、見て来とおとさんに言われて」
交通機関もほとんどない津和崎に取り残されているのかと心配してわざわざ様子を見に来てくださったのだった。
「うちのお父さんも今年で八十なので船をおりることになったのよ」
と、寂しそう。
防災無線が明日土曜日の朝八時から集落の祭りだとアナウンスしている。
人口が減り続けている集落でお祭りを続けていくのもたいへんだろうなぁ。

きのうより一時間早く、夕陽の直前にマルゲリータに戻ってきた。

****

今晩は和食です


五島牛とムートンのカデがぴったり(^.^)


明日は土曜の朝なのでここに焼きたてのパンが並びます(^.^)
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《手造の旅》五島列島~野崎島と小値賀島へ日帰り

2020-11-18 07:26:22 | 国内

世界遺産の教会がある無人島=野崎島にある通称「サバンナ」の風景

二回目に訪れた時、ここで百年前のコインを見つけたっけ
※こちらに詳しく書きました

※2018年の訪問記はこちらから
※2017年の訪問記はこちらから

夜明け、中通島のホテル・マルゲリータから三日月を見上げた

六時半に少し明るくなったダイニングで朝食


朝食後のロビーには朝の光があふれていた。

八時に出発、四十分ほど北へ走ると津和崎港に着く

ここからチャーター船で渡るのが野崎島へ行くいちばん早い方法。

「好洋丸」のNさんとは同級生だと言うホテルのスタッフが送ってくれた。
この集落の子供はNさんのところだけ。タクシーで学校まで通っているそうな。
**
十分ほどで野崎島の南の端にある舟森集落の跡がみえてくる。

段々に耕された跡が山の上まで続いている。
ここは最盛期には百七十人ほどが暮らし、教会も学校もあった。
★舟森集落の起源
1850年ごろ、小値賀の漁師が大村で異様にぼろぼろな三人の男を見つけた。
訊ねると「わしらは切支丹で明日には処刑される」と答えた。
不憫に思った漁師は彼らを船の網に隠して出航しようとした。
不自然な時間に出航する船を見咎めた役人がやってきて船内探索。
槍で網を突いたのではらはらしたが、幸い無事だった。
漁師は三人を野崎島の南端に降ろした。
「ここなら水もあるから生きていけるだろう」
その後も宗教を越えて三人を援助し、舟森は集落になっていった。
これは伝説ではなく書き残された史実とされている。

仏教徒とキリスト教徒は対立していただけではなく、むしろ共存していたと理解した。

野崎島南南北6㎞ほど。
中央部がくびれた形をしているので「野首」と呼ばれ、そこにも切支丹の集落があった。

海上から見えてきた教会はその住民たちが食べるモノも食べずに節約した金で建設を依頼した。
1908年に二十九歳の鉄川与助によって完成。昭和四十六年(1971)に住民がいなくなった時から何度もの取り壊し危機をのりこえ、現代に継がれて、世界遺産指定されている。
近くに上陸するのは、今は出来ない。

野崎集落に上陸。あとであそこまで歩こう。

まずはビジターセンターで解説。

2001に一人を残して無人となった野崎集落を歩いてみよう。水場は共用だった。

最後まで留まっていた神主一家の家。

↑武家屋敷の家を移築したものらしく、殿様専用の広い入口が中央にある。普通の出入りは左にちょっと見えている通常の玄関をつかった。


↑ここに移築されてから付け加えられたのが遥拝殿↑
※冒頭2017年に訪問した時のリンクにて内部を見た時の写真があります

野崎島には古代から神域とされた「王位石(おえいし)」がある。
沖ノ神島神社として704年に創建され、遣唐使船が海上から航海の安全を祈っていたとされる。
神域を守るため、ここの神官は最後まで島に残っていたのである。

村から坂をのぼると開けた「サバンナ」に出る

ここでは塚原さんが(※2017年訪問時にガイドをしてくださいました。冒頭リンク参照)、鹿を飼ってビジネスにしようとした。金網はその時の夢の跡だ(^.^)

この高台には室町時代あたりから何百年も邸宅があったのではと推察されている。

大陸との交流が禁じられた江戸時代には衰退し、貧しい田舎の藩領になっていた。
貧しい藩をなんとかしようと、切支丹であることを知りながら開拓団を誘致して野首の集落がつくられた。
***

丘を越えて野首集落まで歩こう。

見えてきたのは学校の教員宿舎だった建物。
南北6㎞の小さな島だが最盛期には三つの集落に七百人が住み、南端の舟森と北に近い野崎に二つの小学校があった。やがて人口が減り統合されて野首に新しい学校が建設された。それが現在は自然塾となっている建物。小学校としては昭和六十年に閉校となっている。

砂浜も見えるすぐ近く、斜面の林の中からこちらを見ている鹿ちゃんが↓けっこうたくさん出会う。



海上から遠望した野首教会が見えてきた。
これは三代目になる建物で、最初の教会は別の場所の民家、二代目はこの場所に木造で建てられていた。
今日は自然塾には行かず、直接集落と教会を目指す。

ちょっと高台だけれど、みなさんがんばって登りました!

1908年に建設された姿がよく留められている。
昭和六十二年には巨大台風で半壊したが取り壊されなくてよかった。

だが、昨年の台風十九号で屋根瓦がはがれている。

小値賀アイランド・ツーリズムの方によるとやっと先週からまた中に入れるようになったのだそうな。

ふたたび、野崎集落まで歩いて戻る。


野崎集落の港に面した社も、以前の台風の夜にすごい音がして屋根が落ちたと、たった一人住民登録している管理人の方に伺ったことがある↓

↑人が住まなくなって二十年で集落はこんなになってしまった。

ふたたび好海丸さんに迎えにきてもらった。
小値賀島へ渡ろう。
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《手造の旅》五島列島~堂島教会前でお弁当、海上タクシーで中通島へ、マルゲリータ泊

2020-11-12 18:52:01 | 国内
十一月半ばとは思えないピクニック日和

五島列島に到着して最初の食事は堂島教会前の海辺にした

ここは1873年(明治6年)に禁教の高札が撤去された後、五島で初めてのクリスマスミサが行われた浜である。

長崎空港から福江つばき空港までプロペラ機
飛び立つとすぐに大村湾にうかぶ長崎空港。

機内で配られるCA手作りマップを楽しみにしていた。

裏表一枚だけれど、下手なガイドブックより気持ちが入って一読に値する。
今回は島ヴァージョンで対馬(右ページ)を大きくとりあげてあった。
左上にこれから訪れる堂崎教会、三日目に宿泊するカンパーナホテルが描かれている。

二十五分のフライトで福江つばき空港に到着

ターミナルまで歩く。
荷物をとってバスに乗り、福江島の北東部・その名も奥浦というところにある堂崎教会へ向かう。

まがりくねった海岸線。丸く見えるのはマグロの養殖。
近畿大学が手掛ける卵からの完全養殖システムは五島列島を主に活動しているので、各所で同様の施設にであった。
五年前に「年間四千匹の出荷を目指す」としていた。

バスが止まる場所から二百メートルほど歩く。
駐車場に教会のカタチをしたトイレがあるのだが↓

「この建物は前は『塔』があったんですよ」と言われた。
調べてみると・・・たしかに※こちらに写真を載せました


受付で料金を支払う。
「ちょっと海岸でお弁当たべさせてもらうよぉ」
と、ひと声かけてから、冒頭の写真の場所へ。

風もなく穏やかな日差し。
初日のランチをこんなふうに楽しめてほんとうによかった。

明治初期にやってきた神父はこの地で孤児院を運営した。

場所は移動したが今も引き継がれているのだそうだ。
このあたりの話は別の機会にもう少し調べてみたい。
※堂崎教会については2017年に訪れた時のブログもご覧ください
**

福江に戻る途中、ノアの方舟を模したという浦頭教会が見える。ここは今も修道院があるのだそうだ。
***
福江城(=石田城)の一角にある五島家第三十代当主が隠居するために造らせた「心字が池」と邸宅を訪れた

驚くべき巨木のある庭と時代も洋の東西も超えたデザイン感覚の邸宅、こちらからごらんください。
※庭 ※邸宅
****
16時半に海上タクシーを予約している。

福江から中通島の奈良尾港まで五十分ほどのクルーズ。

奈良尾から今晩泊まる小串のマルゲリータまで四十五分ほど。

18時過ぎにマルゲリータ到着。

シチリアの修道院をイメージしたという二十九室だけのホテル

明日朝、このロビーからの光景にみなさんきっとびっくりされるだろう。

夕食、今晩は洋食で。

サツマイモのスープ。
フォカッチャにハムにチーズ 

ヒオウギ貝が美しい。右上のレモンとトマトのマリネ、また食べたい(^.^)

焼き貝のペペロンチーノ

五島牛の赤ワイン煮込み

ドルチェはレモングラスの風味

大きなホテルではないが、良く選択された本が並んだこの空間が魅力。
※2017年の6月にはじめて訪れた時のマルゲリータをこちらからごらんください
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