句集「光年」林翔

2005-10-19 21:20:13 | Weblog
      

 第20回平成17年度詩歌文学館賞に 林翔句集『光年』が受賞した。
 このブログでも何回か句を紹介している私の好きな俳人なので嬉しい。
 もともとは馬酔木の作家で能村登四郎師とは國學院大學からの付き合いで
 平成13年登四郎師亡き後も「沖」の最高顧問として齢90歳で活躍されている。
 

  交友七十年遂に君逝く青葉雨
   迅雷に裂かれし絆何とせむ
   登四郎登四郎登四郎憶ひ五月逝く

 悲しみにみちた翔さんの追悼句。3句目のリフレインは涙が出る思いです。
 私は2,3度勉強会でお目にかかったが、講義を受ける程度で会話など無いが
 いつもベレー帽を被られていた姿は眼に焼きついている。


      ころころの今日の俳句


        そぞろ寒竜を鳴かせて睨まるる


      ころころの独り言

 やっと現俳の投句が済んだ。さて今月の成果はいかに・・・(トホホの結果かも)


      ころころのお気に入り


        光年の中の瞬の身初日燃ゆ  林 翔


  

 


 
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季語を味方に

2005-10-18 22:44:09 | Weblog
      東京は18度。

 観念的な季語に「夜寒」「そぞろ寒」がある。
 私の好きな女流俳人、中村汀女の句に

 あはれ子の夜寒の床の引けば寄る

 佳句というのは,季語と措辞とがお互いに光りあって過不足のない17音と言える。
 季語から俳句を詠んだり、どこかで見たお気に入りの措辞から詠んでも
 どこか素っ気無い句になる。また知識を裏側に置いた「種明かし」の句も
 同じに思う。瞬間のひらめきに頼るべきではないが、そのひらめきを引き出す
 為には歩いて体感しなくてはいけないのだろう。
 汀女の句は写生の裏側にある汀女の心の夜寒を詠っている。
 自句自解によれば確か転勤先の夫に幼子を連れて会いに行く時の句だったと思う。
  

     ころころの今日の俳句


       一色の訃音に触るるそぞろ寒


     ころころの独り言

   一時間かけて作って登録したはずのブログが消えて、また作り直している
    かなり,疲れる作業となる。


    ころころのお気に入り


      夜寒さの松江は橋の美しき 森 澄雄

 
 
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句のすがた

2005-10-17 22:25:07 | Weblog
     一日重い雨

 
 私の愛する俳人に揚げた飯田龍太、なぜ惹かれるかといえば、その句の姿が
 美しいということになる。初学のころから好きだった。
 俳句の右も左も分からぬ人間でも句のすがたの良し悪しがわかった。
 
 昔から下手の横好きで墨書をしていたが、龍太の句は書くと特に書き易く
 拙い字に味が出るから不思議なものに思える。

 師匠の受け売りだが、文字面ではなく音読に耐えられる句もひとつの価値
 であると・・詩心はどのレベルの教育をうけた人にも平等にキャッチボールが
 できることが大切なこと。

 つまりどんな状況に置かれても美しい句というのは動かないものになる。
 新感覚の感性豊かな句は一時的な光りを浴びる事がある。
 それはそれで良いのだが・・ポスターのような句に見えることがある。
 俳句を勉強するのには,子規,蕪村、芭蕉の順に学んだほうが易しいが
 芭蕉,蕪村,子規の順に学ぶ価値はその辺にもあると思う。


        ころころの今日の俳句

        火の番も霧の中なる登り窯


        ころころの独り言

  自分は心象句を詠むことが苦手、その妬心も有ってか写生の裏に隠れる
  心象を詠みたい。石原八束が蛇笏の雲母で学んだ上に二句一章,内観の
  句作りは生涯学習のひとつだと思っている。



       ころころのお気に入り

    髪洗ふこころのどこか人に倚る  石原八束
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「俳句のつくり方」水原秋桜子

2005-10-16 22:51:17 | Weblog
   のち

 句作の意欲が少し下がってきたのでいつものように「本」を読んでみる。
 句作意欲が下がった時には旅行にかぎるが、仕事や家のことなど、
 なかなかそうもいかない。
 今日の題でもある秋桜子の「俳句のつくり方」の十四章
 「句作不振の場合の心得」によれば二つの方法があるという。
 自分の作句力の衰えの基準で他人の作をもつまらなく見えてくるというのが
 あるが、まだ他人の句が面白く感じて自分の句がつまらなく見える間はまだ、
 完全に作句力に衰えたとはいえず、ただ見えない焦燥からそう見えているだけ。
 心得の一つは焦らずじっとしていて回復を待つ、しかし作句,投句の活動は
 どんなつまらない句であろうと休んではいけない。この間にも展覧会や他の
 文芸書を読むことを続けていれば必ず意欲は回復する。
 もう一つは出来ないときこそかえって作句を励行する。句作数も自己に課題を
 与えて。詠むその時には空想は決してしてはならない。同じ空想でも以前見た
 景なり花鳥なりを思い出して詠むことが大切な心得。

 いずれにしても俳句を詠めとは・・・・
 田中先生は少し「句会のこと忘れなさい」と言った。
 その代わり,毎日、575で日記をつけるように。
 俳句ではなく、頭の中のリズムだけは訓練するようにと・・
 その時の自分にとっては効果的であったかもしれない。
 しかし,今は句友の存在が一番不振回復の近道だと思う。
 良き句友を得ることが継続と進歩の力を与えてくれる。


        ころころの今日の俳句


         古書店に長居のひとり秋しぐれ


        ころころの独り言

  今日は闇句会の選句の日、傍題の通り自分の句が埋もれて見える。
  スランプというほど力も無いのに・・・・
  現俳の投句もしていないし、困った。


       ころころのお気に入り


       露けさの弥撒のをはりはひざまづく  水原秋桜子
 
 
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なんとまだ10月・・・

2005-10-15 18:33:50 | Weblog
    今日も予報は外れてのち

  きのうのブログはとんだ勘違いと言うのか、大呆小呆でした。
  お酉さまは11月の酉の日,9日、21日です。
  酉の日は12日に一回まわってくるので今年は二の酉まででした。
  お騒がせしたようで・・・

  浅草の大鳥神社では熊手に稲の実をつけたものを¥500で求めましょう
  巫女さんから頂くと何となくご利益があるように感じます。
  商売をされてる方にはやはり手締めのサービス付きの熊手屋さんがいいかな?
  ただ、熊手屋さんの「よーぉ」の手締めの掛け声で衆目となりますから、
  あまり小さな熊手を買うと返って恥ずかしくもあります。

  当日は酉の日の午前零時に一番太鼓が鳴らされそこから終日の市になります。
  今年は連衆を誘ってみようと思うのだけれど、仕事のあととなると6時半
  集合では難しいかも知れない。取り合えずお誘いしてみよう。

       ころころの今日の俳句

     
         大川の風知り尽くし都鳥


       ころころの独り言

  昨日友人からイベントのポスターのデザインを頼まれたが,何年付き合っても
  私の仕事が何であるか理解していないようだ・・・こんな奴には「OK]と
  言ってすっぽかしてやりたいが・・嫌な顔せずに断った。


      ころころのお気に入り


      勤めより夜の勤めへ秋時雨  林 翔


  今日の絵は聖護院のつもりで描いたけど形が悪いなぁ
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春を待つ事のはじめや酉の市

2005-10-14 21:21:21 | Weblog
   天気予報に反して秋晴れ

 明後日はもうお酉さま、ほんとうに一年が早く感じます。
 酉の市の名物といえば、まず縁起熊手、金銀財宝かたどったものを詰め込み
 運を「かっこむ」福を「はき込む」と言って開運招福、商売繁盛を願ったもの。
 毎年大きな物に替えていくという。
 それと、頭芋(八つ頭)、それを食べて人のかしらに(頭)に立つという何とも
 江戸っ子らしい洒落の利いたいいまわし
 子供の頃は父と兄と三人で毎年浅草の大鳥神社に行っていた。子供にとってみれば
 そんな縁起など知る由も無く、ただただ縁日の屋台が目当てで、ねむい眼を
 無理やりこじあけて付いてまわった。
 屋台の切れ目には振る舞い酒の樽酒があり、屋台には八つ頭も黄金餅も切山椒も
 売られていたのを思い出す。今では八つ頭も黄金餅も売る店が見当たらなくなって
 かろうじて切山椒を商う店が出ているようだ。
 今年は二の酉に出かけてみようと思う。

        ころころの今日の俳句

    
         酉の市手締めの渦に呑まれけり


        ころころの独り言


   どうしようか迷った末に八つ頭の絵を掲載した。自分では良く描けた
   つもりでも,最近は八百屋の店頭でも売ってないから,見る人にはそう
   見えないかもなぁ・・・


       ころころのお気に入り


       秋冷や祈りの指を固く組む     大塚和子 
 


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今だに迷う季語

2005-10-13 22:20:06 | Weblog
      まさに朝冷という日

 あさっては満月なそうな、三日月もいいが今日あたりの月の姿も柔らかくていい。
 
 最近になってやっと分かったという季語がある。
 何度でも詠んでいたはずの「星月夜」という季語。
 (よく晴れた秋の夜は、満点に星が輝きまるで月夜のように明るい、それは大気が
 澄んで,天頂にかかる天の川の輝きをさえぎるものが無いからで,清爽な感じの
 季語) と季寄せにある。
 最初の間違いは、かなり前に気がついた。星と月のある明るい夜空として解釈を
 していた。
 そして、この季寄せの記述、子供の頃は東京でも天の川は見えていた。
 現代は大気汚染と町全体に明るくなり、その明るさは天にまで届き、繁華街の
 空は暗くならない。ひょっとしたら今の東京では星月夜などないのかも知れない。
 私はいつもより多く星が見えている空、その星の明るさを感じる空を詠んでいた、
 分かっていたものの、いつしか体感として、今の星が少年期の見た星と同じだと
 思いこんでいた。
 季語の勉強と言うより、今の都市ではありえない季語を無造作に詠んでいる自分
 に稚拙さをおぼえた。


        ころころの今日の俳句


       シャツ一枚干されままある星月夜 


        ころころの独り言

 客観的に見て何だか昔の句のほうが、メリハリがある。拙句に変わらないけど
 最近少し厭らしい句作りになっている。まあこの辺が限界なのだろう


        ころころのお気に入り


        山国の空をあまさず星月夜    檜 紀代


   今日の絵はピーマン、顔彩では輝きが出ないので、単色のまま
   色つけをしてみた。
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誰だって初学時代・・・

2005-10-12 22:39:02 | Weblog
    久しぶりの秋晴れ

 私の宝物の一つに俳誌がある。馬酔木,雲母、秋、沖
 手元にある一番古い俳誌は昭和46年十月号の沖、定価200円
 沖発刊から通刊13号にあたる。
 古い俳誌を見る楽しみは、今、俳句を生業としている俳人の名前を見つける事
 にある。どんな俳人にも初学の時代があり、その時代にどのような句を詠んで
 今に至ったか?特に同人欄ではなく、一般欄での発見は嬉しい。
 それは自分への励ましであり、慰めでもある。
 勿論,自分は俳句を生業にするつもりも、その資質もないが・・・
 俳句で名を売るには、ただ単に良い俳句を詠めればいいわけではない。
 まづは,結社に入り,師の指導を受けることから始まり、
 そこは,俳句界の家元制度みたいなもので、それなりに貢物的な会員確保や
 パーティー券の販売ではないが俳誌の拡張など,奉仕なるものをしなければ
 ならない。引き揚げてもらうための努力をするということになる。
 それから俳句になる。 そこがどうしても馴染めない。

 話は少しそれた。
 その沖に今瀬剛一さんの名前を発見。

 一般作品集3句欄にあった。

     海と月残して麦を刈り終る
     廃校の天に開けり蟻地獄
     紫陽花に夜空のどこか光をり

 さてさて、どうでしょうか?私は元気になりました。

  
    ころころの今日の俳句

  
       稲光一瞬君の町つなぐ  (ころころ29歳) 

   
     ころころの独り言

    最近は絵を描くのに時間がかからなくなった。慣れたのではなく
  手抜きなのかも知れないが、そのほうが納得できるものが描けるような
   気がするから不思議。


     ころころのお気に入り


    海峡のなかほどくらき野分波    能村登四郎



  1時間ほど前に描いた柿,自分で描いてて食べたくなった。

 
 
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IT句会に思うこと

2005-10-11 22:51:58 | Weblog
        

  私がIT句会に初めてアクセスしたのは2年前の4月、当初は新聞俳句、
  大会俳句、のように色眼鏡で見ていた,感想の前に「どうせ・・」だった。
  今から思えばかなり偏屈な考え方も、IT句会に接してかなり思い知らされた。
  最初の驚きは俳句年齢がいくら低年齢化されたとは言え、ある程度の齢を得てから
  PCに向かったという事だった。
  PCが出来るからIT句会に参加したのではなく、IT句会の為にPC教室に
  通った人々が多くいるそうだ。
  当初は横書きの俳句に違和感を覚えながらも、ある句会に参加してみた。
  当然,今まで座の俳句会しか知らない自分にとって、顔も知らない会員の句を
  毎日選句するのも、裏側が見えなくて嫌だった。
  座の句会には謎解きの楽しみがあった、「やっぱり誰々さんのお句でしたか?」
  「貴方のお句だとは思いませんでした」などと,句会のあとの茶話を楽しみに
  出かけることもあった。それは今でもIT句会に対する少しの不満でもあり、
  選評に手抜きがきくという利点でもあるが・・それが逆に俳句だけを客観視する
  にはIT句会の方がいいと思うようになってきた。これから益々IT化していく
  俳句界。今ではPC画面に,季語集も古語をはじめあらゆる辞典が一瞬のうちに
  開く事ができる。便利と引き換えに、何かが無くなるような不安が確かにある。


         ころころの今日の俳句

        婆さまのおさがり似合ふ案山子かな


        ころころの独り言

 今、4人の方にしかこのブログを見てもらっていない。そのうちもう少し
 見てもらうつもりだが、まずい事は今のうちにかいてしまおうかな・・


       ころころのお気に入り

     
       狐火のやうに嫁いでゆきにけり   柳家小三治



       今日の絵は白桃、色が難しかった。
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期せずして・・

2005-10-10 21:10:34 | Weblog
     東京の最高気温が18.5度

 今日の読売俳壇の森澄雄の一説。
 *子規によって明治以後俳句の方法として写生ということが西洋画の手法から
 取り入れられたが、ぼくは俳句をはじめた長崎高商の頃から,芭蕉の「物の
 見えたるひかり、いまだ心に消えざる中にいひとむべし(三冊子)を心に置いてきた
 写生は盲人には出来ない。妹は長崎の原爆の光りによって全く盲目となったが
 ぼくの主宰誌「杉」に毎月投句している。心にひらめく光によって句を作って
 いるのだ.・・・・中略・・・芭蕉の「心の句作はよし,詞の作は好むべからず」*

 昨日のブログに書いたことは少し違うかも知れないが、心の目に真実の光を
 見ることが出来た時こそ,私の次の俳句の扉が開かれるようなきがする。


      ころころの今日の俳句


        覚えきて鏡と手話す夜長かな


      ころころの独り言


  今日は曼珠沙華で数句詠んでみた、あらためて難しい季語だと思う。
  夕方、俳友からメールが入る。ある句を添削して欲しいと・・
  なんと彼は彼のブログの中で俳句の先生になってしまったようだ。
  それはそれで勝手だが、作句を頑張って欲しい。


      ころころのお気に入り


     木の実独楽この子も人に頼らざれ  林翔
  


 
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