見えない世界を見る

2005-10-10 00:32:17 | Weblog
      のちのち

 「老子」の中に言葉無き言葉、形無き形、色無き色ということが
 書かれている。
 見えない世界を見るには、いくら眼を開いても見えない。開けば開くほど
 力みが出てくるばかり。眼を閉じるところからわかりかける。
 見えない世界は眼を閉じて展開する世界だから・・・

 しかし、日常の生活ではそうしているわけにはいかない。
 芭蕉さんとて,旅を終えれば日常が待っていて生きるための努力を
 していた。このバランスが俳句を詠むことに必要なセンスだと思う。 
 
 今の自分には到底そのレベルに達していない。
 ただ、これからそうした事を意識してみようと思う。


        ころころの今日の俳句

     
       唐辛子海の町からサーカス来


       ころころの独り言

  休みになると余計に疲れが出るなんて,やはり歳を感じる。
  俳句的には熟年期でもいいけどねぇ


       ころころのお気に入り


      吹かれ癖つきてコスモス枯れはじむ  岡本眸
 
 

  
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俳句はどんなときに生まれる?

2005-10-09 00:37:56 | Weblog
      のち

  自分の場合,先人の句集を読んでいる途中からいつしか自分の世界に
  入る事が多い。句集を見ているようで見ていない。
  きっと,俳句のエンジンのかかる瞬間なのだと思う。
  
  先日のブログでも書いた、特選に選んだ佳句。
  「これ以上赤くはなれぬ唐辛子」
  このような句に出会うとますます触発されてしまう。
  
  作者がそうとうご自分に鞭をいれて,俳句をされている心境が伝わる。
  その作者の俳句心を動かしているのは、俳句の仲間の俳句心。
  何年か前に自分ももう俳句はいいかな?と思うときがあった。
  やめるとかするとか言うものではなく、適当に俳句にかかわって
  いたいが本音。
  普段は感じていないが、かなりのエネルギーがいる。
  日常生活で使っていない感性をフル稼働させなければ、詠む事も鑑賞
  することも出来ない。
  
  文法はテキストでも学ぶ事ができる、しかし本当の意味での俳句の力は
  やはり独学では無理だろう。
  多作多捨という言葉があるが、実際自分で自分の句を簡単に捨てられる
  わけもなく、やはり句座において切り捨てられる事が一番だ。
  
  何時しか自分の句が一人歩きをして、誰かの気持ちを揺さぶることが
  出来たなら本望である。


       ころころの今日の俳句

        灯の闇に深入りしたり風の盆 


       ころころの独り言

   客観的に自分の俳句を採点すれば51点だと思う。
   

       ころころのお気に入り


         秋深し鉄瓶に足す山の水   宮内志乃


     
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連衆は異父母兄弟(その2)

2005-10-08 00:34:11 | Weblog
    のち

 今、兄弟姉妹がどんな生活をしているか?結婚をして家族を得て
 それなりの幸せをつかんでいる事を承知していても,かかわる事は
 少ないし、それこそ病気などを抱えていなければ,普段は頭に無い。
 しかし、何を考え、この場合はこうするという,あてのない確信がある。

 連衆という関係はいつしかこういう関係になっていく事が多い。
 俳句という詩の世界を共有することは、ある程度自分の世界観を
 主張することになるからだ。どんなに心の奥に隠しておいたものでも
 詩を通じて,天象,自然の草花,生物などにに置き換えて語っている。
 俳句という短詩は隠そうとすればするほど逆の効果を得て、こころ音を
 言ってしまう。家族との関係,男女の愛情感、過去の事、未来への希望などなど
 俳句を理解しようとする連衆の前に自分のその俳句を置けば、一目瞭然になる。

 先日の句会に久しぶりにMさんが来てくれた。
 Mさんは最愛のご主人を亡くされたばかりで、とても俳句どころではない
 だろう。見るからに憔悴しておられるのが見える。
 それは句からも伺える。
 
 今回句会を欠席されたAさんに今回の報告と次回の芋煮句会の兼でメールを
 差し上げた。久々の参加のMさんの事も少し書き加えたところ、ご返事を
 頂いた。Aさんも数年前最愛のご主人を亡くされいる。

  ・・・1年目は長期出張の感じ、2年目は半信半疑で、
 3年くらい経つと、やっと現実を認識(実感)できるようになりますから
 それまで、皆で普通(ヘンに気を使わないで)に見守りましょう。

 簡潔でいて、気遣いの行き届いた言葉に納得した。
 ほかの連衆の暖かなまなざしを句会で感じをもした。
 
 同座した句会の連衆はこの先も、ずっとそのような関係の中で
 こころをしなやかに支えあってゆくと思う。


      ころころの今日の俳句

    
        兄弟で吹く草笛のふた音色


      ころころの独り言


  この世で確かなものは人の命、生まれおちた時からカウントダウンが
  始まっている。悲しくて寂しくてしかたの無い事だが、この世に
  生を受けたことにこそ感謝しなければ・・・


       ころころのお気に入り


    銀河より聞かむエホバのひとりごと  阿波野青畝

 
 
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いつからか日本酒党

2005-10-06 23:16:15 | Weblog
and
 
  二十歳ころはコップ一杯のビールで顔を真赤にしていたのに、
  いつしかここまで飲めるとは・・・・

  可笑しなもので,年齢で変わるアルコールの種類
  20代・・銀座にあった旭日コンパ、確か6丁目あたりだったと思う。
  半地下のようなところを降りるとスノコがひいてあった。
  全てカウンター席で当時カクテル流行で、どんなものが出てくるのか
  分からずに,ヨコハマなんて頼んで足腰立たなかった。

  20代後半、水割りが少し大人っぽく感じていた。
  ワインの薀蓄も話題として丸暗記していたものだ。
  当時霞町、今は西麻布あたりが主戦場?酒戦場だった。
  ジュレビアン という店は宝塚のOGの店、後にフォークの「ふきのとう」
  となった二人が働いていた。良く飲んで歌った。
  10人も入れば窮屈に思うほど小さな店だった。

  30代、六本木の防衛庁から青山墓地に向かう道にあった店
  クレードル 当時近くにあった俳優座の若手が良く来ていた。
  さとうむねゆきもたまに見たが何だか場違いな人に見えた。
  そこの,オーナー(ママ)の旦那さんが素敵な男で、妙に気があって通った。
  壁には古い演劇のポスターがずらりと貼ってある。
  BGMはアルゼンチンタンゴ、終わると美空ひばり・・そこがいい。
  すべてレコードの時代。カラオケが流行っていたがそれが無い店が好きだった
  その旦那さんは宮崎美子のデビューのあのCMのカメラマンである。

  40代、何故か原宿。ここで焼酎をおぼえる。
  仕事の関係で原宿での打ち合わせが多くなる。
  お洒落な店など一軒も知らない。だた居酒屋の親父と友達になるという
  不思議な力が備わった。しかし閉店時間の早い店ばかりで,少々物足りない
  気持ちで帰ると必ず何処かへひっかっかってしまう。悪い癖もついた。
  表参道の養老の滝の親父には「終電なくなるから、頼むから帰って」と
  行く度に言われたのを思い出す。

  50代,日本酒・・酒量は落ちたがやっとお酒の飲み方がわかる。
  日本酒はいい!喜怒哀楽という感情の起伏に全て対応してくれる。
  何より肴を楽しめる。お酒を楽しむ秋がやっと本番になった。

  
    ころころの今日の俳句


      なみなみと升に膨らむ新酒かな


    ころころの独り言

   60代にはどんな酒を飲んでいるんだろう。少なくとも
   まむし酒や養命酒はやめておこう。

   
    ころころのお気に入り

    
      大秋晴水平線の撓みけり     やまだみのる 
  
  

   
  
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昨日のブログが消えてた・・

2005-10-05 19:32:36 | Weblog
     雨降りの一日

    眠い目をこすりながら仕上げた昨日のブログが無い・・・
    なんだかなぁ・・

 IT句会を含め、句会が終わった時の脱力感は気持ちがいいが。
 
 先月の現俳は915句が投句されていた。
 その中から5句選するのは大変な作業となる、100句を1ブロックとしても
 9ブロックの予選をしても最低でも予選が9回となり、1週間はかかる。
 互選といっても必ずというわけでもなく、選をしなくてもいいのだが、
 まあ,選も勉強のうちと考えてしている。
 
 今まで俳句をしてきて、やっぱり選句の力が俳句の力であると確信できる。
 人間だから,たまには間違った選はあるが・・
 またIT句会等にある談話室や提言欄などの
 書き込みを見ていても,俳句の力は見えてくる。仕方の無い事だが
 その時点での最高の視線で書き込むわけで、意見には正誤がないから。

 今日久しぶりにAさんのインターネット句会を覗いてみた。
 相変わらず,俳句暴言会、一生懸命参加している人たちが可哀相に思う。
 もうあの句会は開けずにおこう。俳句の気持ちが病むから。

 人それぞれに俳句にかかわり、趣味の範疇の人、俳句命という人,俳句を
 生業にしている人。など等、なんと平和な国なんだろう。

     ころころの今日の俳句

   
         子の髪は日向の匂ひ菊日和


     ころころの独り言


   後半年、俳句漬けでもいい。迷いがあるうちは形振り構わずやってみよう。


       ころころのお気に入り


        冬瓜のごろり転がる中華街  鈴木みすず



 
 
 
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一人旅

2005-10-03 23:50:41 | Weblog
   昨日とはうって変わって涼しい一日

  尊敬する永六輔さん曰く
  旅行は帰ってくると前提のあるもの、旅は帰路がなく、ずっと往路
  だという。

  めざすところがあるうちは旅の途中なんだろう。

  去年こそ父の入院騒ぎで出かけられなかったが、毎年夏休みには
  一人旅に出る、何泊になるかは決まっていない,夏休みは自分で
  決められるから始末が悪い、携帯電話でもなければ家出のように・・
  最初のうちはなんだかんだと言っていた家族もここ数年は諦めという
  私にとっては至高の旅となる。

  1回出かければ1500キロは移動する。
  勿論車で、最初は奥の細道を訪ねる旅だったはずが、いつのまにか
  お気に入りの場所探し、美味しいもの探しの旅になった。

  今お気に入りの場所が2箇所ある。
  一つは秋田県の錦秋湖という湖、ここで見る天の川はプラネタリウムなど
  問題にならないほど美しい、いや美しいを越えて神秘なのだ。
  車の灯りを消せば、星の光しかない世界は怖いほどになる。
  秋には行ったことが無いのが残念だが、ここは紅葉の頃がいいという。
  また,温泉がいい。サービスエリアの温泉が500円で入ることが出来る。

  もう一つは新潟の越前浜・・佐渡が目の前に横たわっている。
  雲が佐渡の向こうから次から次とやってくる,テレビで見る天気図
  そのままに・佐渡の後ろの大陸を感じる瞬間であろう
  一日冷えた缶ビールを片手に座っていても飽きない。
  この辺りで食べる岩牡蠣は絶品だ。
  
  足をもう少し伸ばして柏崎へ、駅前の食堂兼居酒屋は句会の仲間を 
  連れて行きたいと思っている。その日浜に上がった魚が写真で選べ
  焼いても煮ても刺身とも何でもしてくれる。
  八海山という酒はここで飲むに勝るものは無い。
  
  一人旅は独り言も多くなる。
  いつもの事だが「また,来よう」


     ころころの今日の俳句


       父と子と同じ目をして拾ふ栗

     ころころの独り言

  日曜日の句会の前に行った植物園で栗拾いをしている親子にあった。
  まだ、幼稚園ぐらいの男の子。きっとお父さんがすきなんだろうなぁ

     ころころのお気に入り


       一山の枯れの中なる芭蕉塚   宇佐美野仏
  

  
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10月の句会

2005-10-02 01:53:36 | Weblog
    秋晴れの吟行日和

 3ヶ月ぶりの句会、やはり顔を見ながら、俳句や俳句のまわりの話を
 しながらの句座は楽しい、ついつい多弁になってしまう。

 今日も話題の中に類想類句について話がおよぶ、いつも思う事だが
 類想はしかたのないこと、たった17音の中に季語として5音近くを
 とられていることだし、残りの12音で物語や景色や心情を詩にするわけだから。
 大切なのは俳句作家としての意識だと思っている,「自分らしく」が大切なわけで
 「自分らしく」がなければ俳句を詠む意味が無いのだと思う。

 また、季語というのは,詠者にも読者にも初手から,日本人特有の情らしきもの
 の擦り付けがあると思う。紅白の曼珠沙華で結婚式を詠んでも、出水でカヌーを
 詠んでも事実であればそれは構わない、むしろ七夕で恋、夕焼けで郷愁を詠む
 よりよっぽどいいと思う。しかし俳句の世界では正解はなく、多数決という一応
 の決着をつけ、どうしてもの正解を求めるのであれば結社で主宰の正解を得る
 方法を求めることになる。
 無季の俳句を詠んでみるとその辺がよくわかる。
 つまり、読者に季語の持っている各自の背景の前に詩を置くのと、全く
 白紙の状態に詩が忽然とあるのでは大いに差がある。
 歌舞伎を鑑賞するのと、前衛舞踊を見るほどの違いが出る。
 
 こんなことを書いてもそれも正解ではなく個人の意見でしかない。

     ころころの今日の俳句


       ビロードの拳つきあげ鶏頭花

     
      ころころの独り言

     48畳の句会場はさすがに広い、陽射しにテーブルを移動しつつ
     楽しい句会でした。ゴーヤのお菓子は後を引きます.ご馳走様でした


      ころころのお気に入り


     これ以上赤くはなれぬ唐辛子     あのさ  

     ちちははの比翼の日々やとろろ汁   あいさ

  今日の句会でころころが特選に頂いたお句です。


   
     
 

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何とか今月も・・

2005-10-01 01:04:10 | Weblog
    四谷荒木町の路地で彼岸花を見つけた

 現俳の9月の結果発表があった。
 先月10位ギリギリで名前が残って、今月は消えると覚悟していた。
 
 当初の目標は年間1位になること(凄い強気!あくまでも目標)
 もうひとつの目標は5句投句を揃えることにある。
 落ちこぼれの句を出さないことは、俳句歴の確認でこれが参加の最課題。
 年間1位と言うのは,今後の自分の俳句の道を決定する上での指針となる。

 いろいろなインターネット句会に参加して、正直いって、一体自分が
 何をしたいのか,分からなかった。
 初めて出会う選者に入選と言われてもそれほど感激するものではないし、
 選外であってもどうという事はない。
 もしかしたら,今が一番の過渡期なのかもしれない。

 昨年末,終わったIT句会のあとその時のMさんから紹介され,「ひいらぎ」の
 誌友となった時、今の師匠から「今更、なんで?」と言われた。
 その時はそのIT句会に使った時間を今後どう埋めればいいのか?とか
 事,俳句に関してMさんは尊敬できるし、言葉を信じて迷う自分をごまかして
 いたのかもしれない。
 
 今は「今更、なんで?」という意味が何となく分かりかけてきた。

 それもそう、Mさんの所属結社の先生だからといって,その主宰の俳風に
 惚れ込んで誌友となったわけでもなく。
 主宰から添削を受けても,少なくともMさんの添削力より落ちると感じた。
 6月からは「ひいらぎ」への投句もしなくなった。

 現在,現俳に投句している5句は,今参加している句会の評を待って
 している。その句会の連衆の目は確かだから、例え互選が1点でも
 ◎をいただければ満足なほど信頼できる。

 今月は7位となったが1位とは31ポイントも差がある。
 現俳的に点取りの欲と戦いながら自分らしい句で臨むことが
 課題だが、その欲と戦う気持ちも容易ではない。

    ころころの俳句


        棟梁の一本〆や今年酒


    ころころの独り言

  明日は久々の句会だ。早く寝なくては・・・


    ころころのお気に入り


      愛されずいて朧夜の深さかな   あいさ 

 
 
 
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